モデルのイシヅカユウさん、お笑いトリオ・ぱーてぃーちゃんの信子さん、画家・僧侶の長谷川彰宏さんがユース世代のお悩みに答える連載企画がスタート。さまざまな不安や生き辛さが渦巻く今をサバイブするヒントを個性豊かな3人に教えてもらいます。お悩みの投稿はこちらから!
「高校くらいから人と喧嘩したことがありません。多分喧嘩をした方がよさそうな場面でも面倒くささが先行しがちで、ついかわしてしまいます。喧嘩ってした方がいいと思いますか? また、どうしたらちゃんと喧嘩ができるようになりますか?」
(Sさん・20代)
私もほとんど人と喧嘩をしないようにしています。した方がいいとも思いません。何故ならもっとその時間とエネルギーを使ってやりたいことがたくさんあるからです。
喧嘩ってとても力のいることですし、疲れるし、その割に全然達成感のない、徒労に終わることの方が多い作業です。喧嘩をあまりしたことのない私のような人間は、我慢したりせず喧嘩した方がスッキリするのでは? と思ってしまうのですが、大体は喧嘩してスッキリ、なんてことはほとんどなく、時には喧嘩する前以上のモヤモヤを抱えたまま関係を続けたり、離れたりしなくてはならないこともあるのです(あ、喧嘩と、意見を言うことや話し合うことは全く違います)。
なのに生きていくと、どんなにかわしても喧嘩せざるを得ない場面に出くわすこともあります。私にも既にそんな経験が何度かありました。口喧嘩でしたが、案の定とても嫌な結末を迎えました。
だから、あなたが今喧嘩せずにかわしていられているということは、とても素晴らしいことなんだと思います。それがあなたのいいところなんだと思います。四六時中大小様々に喧嘩ばかりしているこの浮世の中の一筋の平和、それがあなたなのかもしれません。そのことをまず、もっと誇りに思うべきです。
その上で、どうしても喧嘩をしたいという場合は、あなたに合った格闘技を見つけ、習得することをお勧めします。もちろん格闘技というのは喧嘩のためのツールではありません。しかし、適切に自分の攻撃心を発信し、人と殴り合い、加減を知り、喧嘩をしても自分も相手も必要以上にダメージを負わないための訓練ができるはずです(これは暴力を助長しているわけではなく、あくまで喧嘩をするためのエネルギーである怒りをコントロールする訓練を積むべきであるということですのでくれぐれもお間違えないよう)。
言葉での喧嘩は、昨今のSNSや短絡的に論破すればいいというような風潮を見てもわかるように、泥沼になり最終的になんでもいいから言い負かせば良いことになり本当に嫌な気持ちになるだけで終わること必至なので、フィジカルな喧嘩以上にお勧めしません。
イシヅカユウ
静岡県浜松市生まれ。ファッションモデル・俳優としてさまざまなブランドのファッションショーや広告に出演するほか、2021年には短編映画『片袖の魚』でスクリーンデビュー。2024年にフリーランスへと転向し、さらに活躍のフィールドを広げている。
何のために口と耳があると思ってんの!! 自分の気持ちを伝えて相手に聞いてもらうためでしょーがっ!! そもそもなんで喧嘩なわけ?? 別にわざわざ喧嘩なんかしなくていいんだよ、話し合いにすればいい。どっちも同じ内容同じ濃ゆさならやってること同じぢゃんっ⤴︎⤴︎
相手から喧嘩をふっかけられても、喧嘩したい訳じゃないから話し合いをしようよって言えばいいんじゃない??🥳🥳 それで喧嘩したいって言ってくるやつはどっか行ってもらお(笑)。
うちは意見をぶつけてくれてる人の方が「向き合ってくれてるなー」「良くしようとしてくれてるなー」「今後長く居たいと思ってくれてるんだっ!大事にしてくれてるっ!」って思う派だからさっ💖💖
だから何も言わないなって人とはこっちも上辺で付き合っちゃう。そういう人ならそれでもいいし、もし一緒にいる時間をお互いにとってかけがえ無いものにしたいなら言えばいいし。
うちなんかの映画か漫画で「口は相手に気持ちを伝えるためにあるんだよ、耳は相手の気持ちを聞くたためにあるの」みたいなの言ってて感銘受けたんだよね(ところで感銘ってなに?)。まぢ素敵じゃない? あ、冒頭受け売りなのバレた🤮 かっこつけたかったのに🤮
あと何がダルいって言いたいことってその時言わないとちゃんと伝わんなくなっちゃうからねー。ニュアンスが違ってきたり、なんで今言うの? とかでまた新たないがみ合いとか出てくるしねー。その時終わらせた方がいいよ、うん。
てか何の話だっけ? 喧嘩どう思うかだよね? うちの答えは喧嘩はしなくてもいいけど思ってること伝えるのは大事じゃね?ってとこかな🙌💋
もし話し合いがヒートアップして喧嘩っぽくなってきたら、うちら今冷静じゃなくない? 一旦ギャグし合おって笑かしあってクールダウンしてみれば⤴︎⤴ うちはやったことないけどね⤴︎⤴
信子
大分県大分市出身。お笑いトリオ・ぱーてぃーちゃんのボケ(思い立ったことをすぐに言う) 担当。ラジオアプリGERAにて『ぱーてぃーちゃんの絆Nightふぃーばー』を毎週金曜日に更新。2/17(土)に事務所ライブ「WELNEXT」出演。
ここでいう喧嘩とは殴り合い的な意味だろうか? それとも言い合いのような意味だろうか。
前者だった場合、僕は幼稚園ぐらいのとき喧嘩ばかりしていた感じがする。ことあるごとに誰かに怒っていた。幼稚園の頃の僕はかなりジャイアン気質だったので、記憶しているだけでも何度かやり合っている。寺生まれのくせにその寺の敷地内でも喧嘩するという釈迦が知ったらブチギレられそうなこともしていた。その後小学校に上がって立場がまったく変わり、のび太的な立場になってからはめっきり肉体的なケンカはしなくなったが。
その幼少期だけの記憶でいうと、肉体的なケンカなんぞしない方がよい。今思い返しても幼稚園のころの僕はなかなか悪者で、自己嫌悪に陥る。殴り合いの喧嘩をして、その後に爽やかな友情が芽生えるといった少年漫画的展開は訪れないのが現実である。ただただちゃんと嫌われる。周りからもドン引かれるだけである。
大人になって攻撃性はほぼ表に出る事は無くなったつもりだが、自分にはその気質が備わっている人間なのだ、という慰めにもならない自戒しか得るものがない。
後者(言い合いのような喧嘩)を指す場合はまた少し話が違うのかもしれない。自分の生き方との折り合いの問題が出てくる。つまり自分の信条や思想からすると嫌だなと思う意見に遭遇したり、失礼なことを言われたりした時に、空気に流されてうやむやにするのではなく、ちゃんとその場で真っ向から対抗する……という事なのだろう。
ただ、自分の主張をちゃんと述べることと、喧嘩することは違う。僕としては、やはり殴り合いも、言い合いも、喧嘩としてはしなくて済むならしなくて良いんじゃないかと思う。
そもそも誰かの失礼な言動に出会ってしまった時に「喧嘩をしたらよかったな」と考えるのは、その根本に「自分の怒りが無かったことになったな」という思いがあるのではないか。
喧嘩が大事というよりも、自分が傷ついた、怒っている、と相手にちゃんと伝えたかったんじゃないかしら。
怒りが湧いている時、実はそれは事後的な反応で、始まりは全て傷つきや悲しみだ。しかし僕たちは、なぜだがすぐそれを忘れて怒りだけが心を支配してしまう。
自分の怒りを感じた時に、ちゃんと自分の傷つきを見つけてあげること、そしてちゃんと悲しんであげること。そしてそのことを素直に相手に伝えること。それが大事なんだろうと僕は思う。
自分の悲しみを素直に人に話すのにはとても勇気がいるし、強さが必要で、実践するのはなかなか難しいけれど……。
ただ、幼稚園のころの喧嘩してばかりだった僕に今会ったら、「何が悲しかったの」と聞いてあげたいと思う。
長谷川彰宏
三重県津市生まれ。天台宗系の寺院に生まれ、12歳の時に得度(出家)。現在は東京藝術大学院美術研究科に所属し、現代アーティストとして活躍する。仏教思想や仏像の造形にインスピレーションを得た作風が特徴。
Text:イシヅカユウ、信子(ぱーてぃーちゃん)、長谷川彰宏
Illustration:an
Edit:山梨幸輝