伝統芸能と聞くと、知識が無ければ理解できなそう、作法があって堅苦しそうというイメージがあり、距離を置いてきた。しかし、島根県西部で行われる石見神楽(いわみかぐら)を、旅の途中で勧められて以来、この食わず嫌いは一変した。
花火などの派手な演出を取り入れた舞台の面白さはさることながら、地元の神楽愛を直に感じる空間にハマった。旅先でその土地の空気感を味わいたい人にとっては、やみつきになるだろう。
トラベルプロデューサー、堀真菜実が「人生に一度は行くべき石見神楽」を紹介する。
神楽が今なおポピュラーな石見地域
神楽とは、神に捧げる舞や歌のことだ。古事記や日本書紀の神話を成り立ちとする、日本で最も古い伝統芸能。現在にいたる長い歴史のなかで、その目的や形式がさまざまに変化して枝分かれしたため、地域の特色が色濃く出るようになった。
島根県西部の石見地域は、全国指折りの神楽エリアだ。地元の神楽チームは300を超え、12箇所のスポットで定期公演が行われる。人気の秘密は、迫力のある舞、斬新な演出、わかりやすいストーリー。
本音を言うと、初めはそんな話は半信半疑で、「よく分からなくても経験だ」くらいの気持ちで行った。
知識ゼロで、石見神楽に行ってみた
会場である神社の境内は、観光客ではなく地元の人でいっぱいだった。お風呂上がりと思われる家族がふらっと来ているカジュアルさに驚く。入り口で渡されるパンフレットには、コミカルなイラストで石見神楽の代表的な舞台のストーリーが紹介されていた。スサノオノミコトがヤマタノオロチを酔わせて退治する、「大蛇(おろち)」をはじめ、勧善懲悪の展開が多い。事前に読んでおけば初心者でもついていけそうだ。ありがたい。
奏者の歌声とともに舞台がスタート。太鼓や笛のおはやしの音が、夜の神社にマッチして心地よい。重厚で華やかな衣装は、まさに和の伝統といった雰囲気だ。
ところがストーリーが戦闘シーンへ進むと、テンポが早まり、雰囲気は一転。演者が激しくジャンプするたびに、衣装や武器の先が観客席をかすめる。最前列にいたため、その迫力に姿勢がのけぞった。思わず「うわっ」と声が出たが、抑える必要はない。観客たちは、歓声や拍手をあげながら、わいわいと鑑賞しているのだ。
演者が見えなくなるほどの煙幕、観客にちょっかいを出す登場人物、巻き起こる笑い、天井の飾りがパラパラと落ちるほど激しい舞……目の前の舞台は、厳粛でかしこまった印象の伝統芸能とは別物だった。
石見神楽は、
ナマの文化が垣間見える場所
演者と、地域の人と、観光客とが一緒に盛り上がる一体感もまた、石見神楽の魅力だ。地元の人との距離が近い分、ナマの文化に触れられる機会も多い。
例えば、ある晩には、神楽のあとにお楽しみ抽選会なるものがあった。観客の誰かに神楽グッズが当たるというものだ。TシャツやDVDに続き、最後の賞品は、演者がその日の舞で持っていた棒だった。
「あの棒は……当たったところで、どうすればいいんだろう」友人と小声でささやきながら抽選の結果を見守っていると、隣で、突然3歳ほどの男の子が泣き出した。大号泣だ。聞くと、その子は、まさにあの棒がほしかったと言う。
不思議そうにする私たちに、周りの人たちが説明してくれる。石見の子どもにとって神楽の登場人物は、ヒーローなのだそう。これは舞台の外でも同じで、定番の遊びと言えば、戦隊モノより、「神楽ごっこ」。彼は、友達との神楽ごっこで、あの棒を使いたかったのだ。謎が解けた。あれは、幼き私にとってのセーラームーンステッキだったのか。
小さな子どもでさえ、ここまで神楽を好んでいる事実が衝撃だった。
石見神楽を訪れると、しばしばこうしたカルチャーショックを受け、神楽と地域の人の密な関わりを痛感する。――――舞台と観客の境界線がゆるやかで、観客も掛け声や拍手で一緒に場を作っていること。神楽とは特別な日に気張って見に行くものではなく、生活の一部であること。子どもの頃から本当に身近にあること。だから、金髪、コワモテの若者だって、バンドを組むような感覚で神楽団を結成すること。ゆえに、石見神楽は後継者不足知らずなこと――――。
これぞ、日本一の地元愛が支える、愛され神楽だ。
土地の人と同じ場を共有するからこそ見えてきたリアルな文化。観光地を周るだけではわからない熱狂と地元愛を肌で感じられる石見神楽には、もう10回近く通っている。今や石見の夜には欠かせない存在だ。
※現在は新型コロナウイルスのため、内容や条件等の変更含めて、開催そのものが中止や延期になるなど、日々変更しております。詳しくは公式サイトを御覧ください。http://iwamikagura.jp/