同じ地域に何度も訪れる「帰る旅」が注目を浴び始めている。会いたい人がいるから、好きな景色があるからーー「帰る」理由はさまざまだが、パンデミックで繋がりが分断され、暮らしが多様化するなか、日常から離れて羽を伸ばせる「第2のふるさと」の存在は、よりニーズが高まるだろう。
用のイメージが強いが、じつは家族や友人との時間をゆったりと過ごせるリッチな宿も多い。共用のリビングがあることが多く、そこでは宿泊者同士や宿のホスト、時には地域の人と一緒に過ごすことも。旅先が「観光地」から「帰る場所」に変わるきっかけに出合えるかもしれない。
「東京から一番遠い町」で人が絶えない宿とは?
島根県の「江津(ごうつ)」市。列車でのアクセスの悪さから、地理の教科書で「東京から一番遠い」と紹介されたこともある町だ。そんな場所に旅人が絶えないゲストハウスがある。
赤い屋根は、島根県西部で作られる上質な「石州瓦」。私自身、こちらに5、6回は宿泊しているリピーターの一人。
ここ「アサリハウス」は、築130年、延べ床面積550平米の、由緒ある古民家をリノベーションした宿だ。宿泊者は、1名からグループまでが泊まれる個室のほかに、28畳の広々としたラウンジ、昔ながらの羽釜が使える自炊スペース、BBQやキャンプができる広い庭なども利用することができる。
夏は寝そべって星を眺め、冬ははんてんを着て暖をとる。まさに、古き良き日本を体現した場所だ。
薪をくべてかまどに火を入れ、羽釜で炊飯。広々としたラウンジで朝ごはん。
魅力は施設だけにあらず。名物オーナー「えがちゃん」
毎度「おかえりー!」と明るく迎えてくれるのは、オーナーの江上尚さん(通称:えがちゃん)。2016年に東京から江津へIターンして起業。以来、ゲストハウスのほか、農業、観光業、学生へのキャリア教育など、多方面から江津を支えている。
地域の人から頼りにされるだけでなく、宿泊者からもさまざまな相談を受けるえがちゃん。
「仕事辞めたくて…」「学生向けに授業ってできますか?」「もし子どもがいたら、どんな方針で育てる?」
そんなあらゆる相談ごとに即座に答えていく姿は、まるで困ったときの「駆け込み寺」だ。
いつも新しいことにチャレンジしている彼に刺激を受け、地元の若者がアサリハウスで住み込みのインターンシップを始めることも珍しくない。来る度に新しい顔が増えているのも、ここの面白さのひとつだ。
寝泊まりするだけではもったいない。ローカルを味わうコツ
ビジネスから観光まで、さまざまな目的の滞在者がやってくるアサリハウスは、彼らが思い思いに過ごせるように、「ご自由にくつろいでください、あるものはお好きに使ってください」というスタンスだ。ただし、こちらから声をかければ話は別。気さくに旅の案内人を買って出てくれる。
縁のなかった江津という土地に移り住んだえがちゃんは、地域の情報に人一倍アンテナを張っている。「この日に行きます」と連絡を入れれば「その日は石見神楽のイベントがあるよ」とタイムリーな情報をくれるし、「空港方面で立ち寄れるところはあるかな」と聞けば「最近ジェラート屋さんができたよ」とおすすめしてくれる。
都合が合えば「お気に入りのパン屋に行くけど来る?」「海まで散歩する?」と周辺を案内してくれることも。えがちゃんの経営する農園のブランド野菜「ゴウツクレソン」を収穫させてもらったこともある。
こうやって過ごし方を決めると、ガイドブック的な観光とは違ったローカル旅ができるし、予期せぬ出会いがある。現地の人だけが知る「旬」な情報を取り入れるのが、江津にどっぷり浸かるコツなのだ。
おかげさまで、気づけば「東京から一番遠いまち」は、「結構身近なまち」になった。
ローカル案内人、えがちゃん(一番左)。すっかり旅人に溶け込んでいる。
新しい仲間が加わり、SNSで話題のゲストハウスに
2022年、アサリハウスはさらにパワーアップした。2頭の豆柴犬「メルロー」と「ピノノワール」が”看板犬”としてメンバーに加わったのだ。彼らの惜しみないおもてなしは早くも宿のウリとなり、「わんことお散歩」は一番の人気メニューとなった。
さらに、宿泊者のSNS投稿がバズって20万「いいね!」を集め、アサリハウスは「豆柴の宿」として話題のスポットに。犬好きの心をも掴んでしまった。
順風満帆に聞こえるが、実は変化のきっかけはパンデミック。コロナ禍のアサリハウスは、例に漏れず2年間もの休業を余儀なくされた。しかし「だからこそできること」を模索。豆柴たちを迎え入れ、「ホスト犬」になるためのトレーニングもしっかりと済ませて再開のときを迎えた。逆境をチャンスに変えた、えがちゃんの手腕はお見事。
ホストと愛らしい豆柴たちが「おかえり!」と出迎え、コンシェルジュのように土地のことを教えてくれる。アサリハウスのような「起点」があると、第2のふるさと
取材協力:島根県観光連盟