千葉県木更津市。都心からはわずか30分の場所にそのホテルは佇む。アパートのような外観に際立つ名前は、「パプリカホテルです」。「です」までが正式名称だ。
この変わったネーミングと、「世界一のマレーシア料理が食べられる」という噂が気になって、家族で泊まってみることに。すると異文化、エンターテイメント、人の温かみが凝縮した、かつてないホテル時間を味わえた。これは、私たち家族が体験したハートフルな滞在記録である。
トラベルプロデューサー堀 真菜実が、本当は教えたくないニッポン秘境ガイド。今回は「『パプリカホテルです』への旅」を紹介する。
早速チェックイン!
エントランスに入ると、派手なトラの装飾が目に飛び込んだ。ホテルらしからぬハンドメイド感。和とエスニックが融合した独特の雰囲気だ。
この日チェックインを進めてくれたのは、真っ赤な民族衣装をまとったバングラデシュ人の男性だった。「パプリカホテルです」は多国籍。現在は6カ国からの出身者が在籍するそうだ。決まった制服はなく、彼以外のスタッフも思い思いの鮮やかな服装で働いていた。噂に聞く珍ホテルは、チェックインから型破りなお出迎えをしてくれた。
余談だが、彼らはここで働く人たちを「クルー」と呼ぶ。「従業員」「スタッフ」よりもしっくりきたため、この記事でも採用したい。
私たち4人家族は、ダブルベッド2台のシンプルな部屋に宿泊した。室内は一見するとよくあるビジネスホテルのようだったが、シモンズ製のベッドに、独立した広い浴室、さらに、本誌で紹介されており個人的にも気になっていた高級シャワーヘッドが導入されていた。こうした細部へのこだわりが嬉しい。
絶品マレーシア料理。でも味だけじゃない。
調理を担当するのは、かつてマレーシアの5つ星ホテルで総料理長を務めていた名シェフだ。味はお墨付きだが、それだけでは終わらないのが「パプリカホテルです」である。
「こちら、本日のサービスです」
メインディッシュの前には、お品書きにない「ソフトシェルクラブ」という蟹のフライが提供された。スパイスがほどよく効いていてジューシー。皮が柔らかいので丸ごと食べられる。喜んでかぶりついているところへ、
「こちら、本日のサービスです」
と、さっき聞いたばかりの台詞。空耳ではなく、今度は主菜前の口直しに、「モーモーチャーチャー」というマレーシア風ぜんざいが運ばれてきた。この嬉しい追い打ちに、笑みをこぼさない人がいるだろうか。
朝食で提供されたのは、網目状のパリパリクレープにチーズを挟んだ「ロティジャラチーズ」。付け合せのカレーとコンデンスミルクで「味変」しながら食べると教わった。言われた通りに試すと、なるほど、くせになる甘じょっぱさだ。
初めての料理名、見た目からは想像できない味、意外な食材の組み合わせ……この感覚は、海外旅行でローカルの味に挑戦する体験そのものだ。国内にいながら、異文化に浸れた。味はさることながら、滞在者を飽きさせないのが、「パプリカホテルです」の食事である。
睡眠不足&イヤイヤ期の娘を救ったのは
慣れない車移動の多かったこの日、2歳手前の娘は、めずらしく「お昼寝ナシ」で夕方を迎えてしまった。加えてイヤイヤ期の真っ盛り。ディナー前の私が「詰んだ……」と思っていたことを、子育て中の方ならお察しいただけるだろう。子どもに無理をさせたくない。周りに迷惑をかけてもいけない。急いで食べて部屋に帰ろう、と決めていた。
ところが、予想に反してコース料理を最後までゆったり楽しむことができた。驚くことに、娘は最初から最後までごきげんだったのだ。
娘の席に絵本が用意されていたり、豊富なキッズメニューから食事を選べたりといったサービスも嬉しかったのだろう。だが一番の要因は、間違いなくクルーだった。
「パプリカホテルです」ではクルーが一人何役もの役割をこなす。フロントで対応してくれたクルーたちは、食事の時間になるとレストランに揃っていた。彼らの接客はラグジュアリーホテルのそれとはまるで別物である。料理をサーブしながらも、ずっとおしゃべりをしていて、にぎやかなのだ。
宿泊者へも気軽にコミュニケーションを取る。私たちは大歓迎だ。それも伝わってか、子どもにも積極的に声をかけてくれた。
さすが、多国籍なクルーたちだけあって、関わり方も人それぞれ。膝を折り、子どもと同じ目線で丁寧に話す人もいれば、通りすがりに「かわいいね!」「おいしい?」とフランクに声をかける人もいた。息子のベビーカーを静かにのぞき込んで微笑んでいくクルーも。彼らにマニュアルなんてない。肩肘を張らずに、無理をせず、自然体だった。
娘が小さな声で「ストローちょうだい」と頼むと、キッズ用ストローを1本だけお皿に乗せて、仰々しく運んできてくれるユーモア。伝票にサインしたがる娘に、「ここにあなたのサインがほしいな!」とコースターを差し出す機転。この小さなおもてなしの連続に、わが家のディナータイムは救われた。
遊び心たっぷりの仕掛けはまるで文化祭
館内には、子どもが喜ぶ仕掛けがたくさん。
「ホテルの装飾はこうあるべき」「ホテルマンはこうあるべき」。彼らにはその概念がない。飾らないし、構えない。だから、人間味ともてなしの心がストレートに届く。「パプリカホテルです」の心地よさの正体は、ここにある。
「パプリカホテルです」はどうやって誕生したのか?
チェックアウトの際にオーナーの飯塚さんに会えたので、気になる質問をぶつけてみた。
まずは変わったホテル名について。
「最初は別の名前だったんです」。飯塚さんによると、当初はイスラム圏からの旅行者用のホテルを始める予定だった。ところが、2020年に東京オリンピックの延期を受けて、日本人向けホテルへ転換。すると、「場所がわかりにくい」「建物がホテルっぽくない」「介護施設かと思った」といった声が寄せられたという。
「それで『パプリカホテルです』って書いたらわかりやすいかなって」と、飯塚さん。つまり「ここですよ」「ホテルで間違いないですよ」というメッセージが、そのまま名前になってしまったのだ。
独特の文化はどうやって作られた?
このゆるくて優しい文化はどうやって生まれたのだろうか。
「パプリカホテルです」のクルーは、実は全員がホテル未経験者。飯塚さんも、もともと自動車販売というまったくの異業種で活躍していた。そこから、ディズニーランドホテルで数ヶ月間の修行を経て、ホテル開業に踏み切ったそうだ。
「個人」の成果主義である自動車販売。徹底した「マニュアル」によってお客様に「魔法をかける」ディズニーランドホテル。この2つを経験したことで、自身は「全員で作ること」「マニュアルに縛られないこと」にこだわりたいと気付けた。
また、かねてから日本にいる外国人労働者にスポットライトを当てたいという思いがあり、「一人ひとりの個性を活かす」というコンセプトも加わった。
だから、制服はなし。各々が自前の好きな衣装を身にまとう。「たとえば、彼らの母国では、ブレスレットが家族との絆を表していたりするんです」飯塚さんは言う。
「それを規則で外させるより、個性として取り入れたいと思ったんです」
マニュアルを作らないボスが、唯一クルーに伝えているのは、「(宿泊者を)心配してあげてほしい」ということ。このシンプルな言葉が、多様性のあるクルーたちに根付き、「困ったことがないか気を配り、何か頼まれたときには背景まで想像する」文化をつくった。
ここには過度なサービスはないし、クルーはおしゃべりもする。その代わり、一人ひとりの“人となり”がにじみ出る、ほかとは違うおもてなしに出会える。
「パプリカホテルです」では、シーズンごとにクルーの出身国の文化を取り入れた催しを行なっている。3月はカラーパウダーを掛け合うインドのホーリー祭、暑い夏にはタイの水かけ祭りという具合で、本場さながらのイベントを楽しめるそうだ。これは、また遊びに行かなくてはならない。
取材協力:パプリカホテル