マラソンから短距離走まで、陸上競技で記録を塗り替える選手たちの足元にはナイキのシューズがある。はたして、なぜナイキのシューズは記録更新を続けられるのか? その秘密を、ナイキのシューズ開発チームに直撃した。
記録を塗り替え続けるナイキのシューズ
カーボンプレートを搭載したナイキの厚底ランニングシューズが箱根駅伝を席巻し、マラソンの日本記録更新時に大迫傑選手や鈴木健吾選手が着用していたことは、専門誌以外でも報道されているので、多くの人がご存知かもしれない。
しかし、ナイキがリードしているのはロードを走るマラソン用シューズだけに留まらない。今年6月、女子10000mでエチオピアのレテセンベト・ギデイ選手がナイキのシューズとともに29分01秒03をマークし、世界記録を更新した。このときに着用していたのは「ナイキ ズームエックス ドラゴンフライ」という長距離用スパイクだ。
「ドラゴンフライ」は日本記録の更新にも一役買っている。2020年12月の日本選手権、男子10000mで優勝した相澤晃選手、準優勝の伊藤達彦選手、女子10000mで優勝した新谷仁美選手は、「ドラゴンフライ」とともに従来の日本記録を更新しているのだ。ちなみにこのときの男子10000mでは、トップ10に入った選手のうち7名が「ドラゴンフライ」を着用していた。
短距離に目を向ければ、今年6月の布施スプリントで男子100mの日本記録を更新(9秒95)した山縣亮太選手、日本選手権で優勝した多田修平選手は、ともに「ナイキ ズーム スーパーフライ エリート2」を着用している。
契約アスリートが好記録を連発しているのはもちろんのこと、契約外の選手もナイキのシューズを選んでいる現在のトラックの状況は、マラソンや駅伝と同様。アスリートたちは、少なからずナイキのシューズを着用することに利点を感じているはずだ。
どうしてナイキはそんなシューズを開発することができたのか。ナイキ フットウエア イノベーション ヴァイスプレジデントのブレット・ホルツ氏、ナイキ ランニング シニア フットウエア プロダクト ディレクターのレイチェル・ブル氏の話からその理由を探っていきたい。
「アスリートが必要としていたのは、体への負担を減らすこと」
マラソンシューズの常識を覆した厚底ランニングシューズの誕生は、前代未聞のチャレンジがきっかけとなっている。2017年5月に開催された「Breaking2」。アスリート、科学者、デザイナーたちが一丸となり42.195kmを2時間以内で完走することを目指したプロジェクトだ。
「男子マラソン世界記録保持者のエリウド・キプチョゲ選手にフォーカスしながら、人類がなし得ていない記録に挑戦するために、まったく新しい視点から開発を進めました。それまでは、より軽く、ミッドソールは薄くて接地感が高いシューズが求められていました。しかし、それは必ずしも保護性が高いものではなく、ランニングエコノミーを向上させるものでもありません。アスリートが本当に必要としていたのはエネルギーリターンであり、体への負担を減らすこと。それを追い求めた結果が、反発性と軽量性に優れたズームエックス フォームとカーボンプレートの組み合わせだったのです」(ブレット・ホルツ氏)
アスリートの声をとことん聞き、本当に必要としているものを見つけ、提供する。当たり前のように聞こえるが、決して簡単なことではない。アスリートの頭の中に具体的なプロダクトのイメージがあるわけではないだろうし、問題を解決するためは開発力・技術力も必要だ。従来の正解に捉われない柔軟な発想力も重要だろう。
そして、声なき声を聞く力も大切だということを「ドラゴンフライ」誕生の経緯が教えてくれる。
「『ドラゴンフライ』は私たちが5000m、10000m用に何か新しいシューズを作ろうとして生まれたものではありません。マラソン用のシューズである『ナイキ ズームエックス ヴェイパーフライ ネクスト%』を、アスリートたちがトラックで活用しているシーンを見て、『ヴェイパーフライ ネクスト%』のコンセプトはトラックを走るランナーも求めているものなのかもしれないと考え、開発がスタートしました。トラック用の『ヴェイパーフライ ネクスト%』として、安定性を高め、カーブを曲がりやすくし、スパイクピンを加えたのが『ドラゴンフライ』なのです」(レイチェル・ブル氏)
「ドラゴンフライ」が「ヴェイパーフライ ネクスト%」をヒントにした一方、800mや1500mを主戦場とする中距離ランナー向けに開発された「ナイキ エア ズーム ヴィクトリー」は、鈴木健吾選手が日本記録更新時に着用していたマラソンシューズ「ナイキ エア ズーム アルファフライ ネクスト%」との繋がりを感じるデザイン。前足部にはズームエア ユニットが配置され、踵から中足部にかけてはズームエックス フォームを採用。フルレングスのカーボンプレートとの組み合わせによって、抜群のエネルギーリターンを生む。
「限界を破ることにフォーカスして開発する」
そして、前足部にズームエア ユニットを搭載した短距離用スパイク「ナイキ エア ズーム マックスフライ」の誕生の背景には、この「ヴィクトリー」の存在がある
「実は、最初から短距離用スパイクの前足部にズームエア ユニットを搭載しようというアイディアがあったわけではないのです。短距離選手たちが『ヴィクトリー』を履いてトレーニングしているのを見て、『ヴィクトリー』を上手くスプリント用にアレンジできれば、アスリートに喜ばれるのではと考えました。『ヴィクトリー』と同様のズームエア ユニットと、『ヴィクトリー』に搭載しているものよりも硬いプレートを採用し、アグレッシブにスピードが出せる短距離用スパイクに仕上げています。
『マックスフライ』は、レースの最後の20〜40mに差しかかったときにスローダウンしないこと、脚に疲れが出ないようにすることにフォーカスしたモデルですが、結果的に汎用性が高まり、100mや200mといった距離だけでなく、400m、400mハードル、800mを走るアスリートも活用してもらっています」(レイチェル・ブル氏)
カーボンプレートを搭載した厚底ランニングシューズが登場したのは、2017年のこと。その誕生前からは想像できない景色が、現在のランニングシーンにはある。では近い将来、再び劇的な変化はやってくるのだろうか。
「5年先、10年先のことは誰もわからないというのが正直な答えですね。引き続きアスリートの声を聴き続け、新しい技術の開発に力を注ぎ、それを活かしながらシューズを作っていく。そうすることで、また新しい形が生まれてくるのではないでしょうか」(レイチェル・ブル氏)
「可能性の限界に挑戦する、自分たちの限界に挑戦する、できないと思うことにも挑戦することが大切だと思っています。限界を破ることにフォーカスして、新しい素材、新しい製法を探し続けることですね。エリウド・キプチョゲ選手の2時間切りへの挑戦によって、まったく新しいアイディアが生まれましたからね。シューズの開発はスタートからシステムとしての完成までに5年、6年とかかることもありますから、開発チームは2024年、2028年のことも見据えながらチャレンジを続けています。私もアスリートに新しいシューズを見せて喜んでもらえたり、驚いてもらえることを楽しみにしています」(ブレット・ホルツ氏)