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川内イオと稀人ハンターズ

個性の爆発。マイノリティな4人が「午前0時のプリンセス」として動画投稿を始めるまで

author: 稀人ハンタースクールdate: 2024/08/07

「誰もがプリンセス」を合言葉に、YouTubeやSNSを中心に発信しているクリエイターユニット「午前0時のプリンセス」、通称“ぜろぷり”。2022年から活動を始め、YouTubeチャンネル登録者数は45万人を超える(2024年7月現在)。「東京レインボープライド2024」では若い世代の代表として公式 YOUTH PRIDE アンバサダーをつとめ、5月には渋谷PARCOでYouTuberとしては異例のポップアップイベントを成功させたばかり。SNSの枠を超えて活躍中だ。

アフリカ系アメリカ人と日本人のハーフであるmomohahaさん、プロダンサーでプラスサイズモデルとして活躍するJESSICAさん、フィリピン人とのハーフでレズビアンであることを公表している“脇腹が痛い大内”さん(以下大内さん)、そして、「男の娘」のリアルを日々発信している聖秋流(せしる)さんの4人は、なんと総SNSフォロワー570万人を誇る。スタジオ兼、JESSICAさんと大内さんが暮らす「ぜろぷりハウス」を訪れた。

稀人No.009
クリエイターユニット・午前0時のプリンセス

SNS総フォロワー数570万人を超える人気インフルエンサー4人が結成したクリエイターユニット。​LGBTQ+やハーフ、プラスサイズ等の今の時代を象徴する強烈な個性と多様性を持ち合わせた4人組となっており、日本最大級のLGBTQ+イベント「東京レインボープライド2024」の公式YOUTH PRIDEアンバサダーにも就任。​他にもウェブCM出演、ラジオ番組パーソナリティなど、SNSでの活動の枠を飛び越えて活動中。

YouTube :@am0princess
TikTok :@am0princess
Instagram :@am0princess
X :@am0princess

“ぜろぷりハウス”を訪問

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写真左から、脇腹が痛い大内、聖秋流、JESSICA、momohaha

小さな一軒家から、明るい笑い声が漏れ聞こえてくる。チャイムを鳴らすと「どうぞー! よろしくお願いします!!」と弾けんばかりの笑顔で迎えてくれた。彼女たちのYouTubeで見慣れたソファやテーブル、そしてYouTubeのチャンネル登録者10万人達成でもらえる「銀の盾」が視界に入る。

「暑くないですか!? この家暑いんです。クーラー入れますよ!」甲斐甲斐しく動いてくれるのは聖秋流さん。ロングヘアにスポーティなファッションがよく似合っていて、「かわいい……」と声が出かける。

「このお家、冬は寒いんですよね」とYouTubeで観たことを思い出して問いかけると、シックなジャケットとワンピースを着こなしたmomohahaさんが「観てくれてる……!」と目をキラキラさせてくれる。真っ赤なロングヘアのJESSICAさんが豪快に笑うと、つられてこちらまで楽しい気持ちになる。3人をそっと眺めながら、時に鋭いツッコミを入れる、金髪でクールな印象の大内さん。

動画と同じく、4人の仲の良さが伝わってくる。

「発信できる私たちだからこそ、等身大の姿を隠さずに伝えたい」と話す彼女たち。美容やファッション、マイノリティなどについて発信する姿は、多くの視聴者に支持を得ている。彼女たちの人生は、一体どこで交わったのだろう。

SNSとともにある青春時代

「最初の小学校では、ずっと1人だったんです」

momohahaさんは1999年生まれ、アフリカ系アメリカ人の父と日本人の母を持つ。日本の幼稚園に通っていたものの、小学校は米軍基地内の学校へ入学。momohahaさんといえば、強烈な変顔や、変幻自在の声色による“あるある動画”が人気だ。ところが、当時は何を見ても心が動かない、好きなものや何が食べたいのかもわからない、どこかぼーっとした子どもだった。

基地内の学校はすべて英語で、日本語は禁止。英語を話せなかったmomohahaさんは、友だちとコミュニケーションが取れなかった。

「おとなしくて友だちとも一切遊ぼうとしない私を見て、母が転校させてくれました」

公立の小学校に転校してからは、人が変わったように明るくなって、母親が「こんなに話す子だったんだ!」と驚くほど。学校に行くのが楽しくて、好きなテレビや洋服、自分の好きなものがようやくわかった。

すかさず、JESSICAさんが「喋るの大好きだもんね、あんた」と割って入ると、「そう、小2からの反動が今もずっと続いてる。長すぎる(笑)」とmomohahaさんは笑う。

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小学生のmomohahaさんが特に夢中になったのは、ディズニーチャンネルだった。プリンセスの台詞や動きを真似すると、母や友だちが喜んでくれる。嬉しくて仕方なくて、小6でスマホを持ってから、その様子を動画に撮ることにのめり込んだ。

中学2年生のとき、6秒動画アプリ「Vine」と出会う。はじめは、同じくスマホを持っている友人と動画を送りあって楽しんでいた。ある日、動画に「いいね」が付き出していることに気づく。Vineは、動画を保存すると同時に投稿されている仕組みで、知らない間に、動画を投稿している形になっていた。他の投稿を観ていると、自分と同じハーフの子たちが活躍していることに気づき、「私も有名になりたい」と、本格的に動画投稿をし始めた。

ところが、兄から「できるわけない。そんなに簡単に有名になれないから」と言われた。この言葉に火がついた。

カツラをかぶって変顔をしたり、声を変えてモノマネをしたり、女の子の「あるあるネタ」を投稿。すると、「わかる」「こういう人いる!」と共感を集め、Vineのフォロワーが一気に増えた。原宿の竹下通りを歩いていると、たくさんの人に声をかけられ、反響を実感したという。

「もともと友だちの前でネタを披露していたのを全国の人に発信できるのが嬉しくて、楽しみながら投稿していました」

人気クリエイターの仲間入りを果たし、高校生になると動画クリエイター事務所に所属。大学生になり、個人でYouTubeでの発信を始めた。2024年現在24才のmomohahaさんは、すでに動画投稿歴10年以上。YouTubeのチャンネル登録者数は65万人、TikTokは117万人を超える。

聖秋流さんが「中学生のころどんな動画投稿してたの?」と聞くと、「変顔をしながらぶりっ子の女の子とか……」「見せて見せて」。見せてくれたのは、現在momohahaさんが個人チャンネルで投稿しているあるあるネタにほぼ近い形。「いつものやつやん!」「最初から確立してたんだ!」「すごいなあ!」4人が互いにリスペクトしている様が伝わってくる。

日本語が話せず円形脱毛症になった

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ぜろぷりの中でバズった動画の一つが、大内さんがフィリピンママの真似をしながらあるあるを話すショート動画だ。大内さんは、1997年フィリピンで生まれ、幼少期は親戚に囲まれて明るく育つ。ところが、幼稚園の年長のタイミングで、フィリピン人の母と福島で暮らすことに。日本語が話せず、友だちが欲しくてもできない。覚えてはいないものの、母曰く、円形脱毛症にもなった。小学生になると日本語は話せるようになっていたが、どちらかといえば内気で友だちも多くなかった。

転機が訪れたのは、小学5年生のとき。男子グループからいじめられがちで、母は転校も考えていたほどだったが、大内さんはリーダー格の一人と“プロレスごっこ”をするように。放課後になると「やるぞ」「いいよ」。クラスのみんなが机を下げて空間を作り、プロレスが始まる。

そのうち、奇妙な友情が芽生えた。

「お前なかなかやるなって言われました。この話が実話なのが気まずい。恥ずかしい」と大内さんが言うと、momohahaさんが「エピソードが少年漫画」と笑う。

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このころから友だちが増え、明るい学生生活を過ごした。動画クリエイターとしてのスタートは、2020年。高校卒業後、専門学校を経てグラフィックデザイナーとして働いていたころだった。「地獄に堕ちた田中」というネタをなんとなく投稿したところ、いきなりバズった。そこから本腰を入れて動画投稿を始めた。

大内さんは、レズビアンであることを公表している。今では「オープンにしたことで生きやすくなった。毎日楽しい」と話すが、20歳になるまでは自分で自分が認められず、人にも言えなかった。

初めて友人に伝えたときは、手の震えが止まらなかった。友人や妹が寄り添ってくれたことで自分を受け入れていき、親に伝えたのは22歳のとき。「そのままでいいよ」と温かい言葉がかえってきて、心底ほっとした。「ポジティブにならなきゃっていうのは、自分を苦しめる。無理にポジティブになろうとしない」という大内さんの考え方は、経験から裏付けられている。

「地元で何て呼ばれてるんだっけ?」とmomohahaさんが問いかけると、「地元のホープね。福島の小さい町なんですけど」と大内さん。日本語を話せなくて苦労したとは思えないほど、地元でも愛されている。

「人前に出るなんてとんでもない」

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“男の娘”として、ファッションやメイク、恋愛と気さくなトークが魅力の聖秋流さんも、人前に出ることは苦手な子どもだった。 アパレルブランドのプロデュースも手がけるなど、現在の多才な姿からは想像できない。

2000年に滋賀で生まれた23歳で、グループでは最年少。生まれたときの身体的な性別は男の子だったものの、幼少期から女の子とおしゃべりをしたり、一輪車や縄跳びで遊ぶことが好きだった。父と兄が苦手で、母と姉がよりどころだった。中学生になると、体育の授業時など自身の性別に違和感を抱くように。自分の性のあり方について深く考えるとともに、中学3年生のころにはメイクに興味を持ち始めた。

高校時代、自分らしく生きたいという思いが強くなり、姉や母に本来の自分を打ち明ける。二人とも、「いいんちゃう?」「わかってたよ」と、さらりと受け入れてくれた。そこから、吹っ切れてメイクを研究したり、スカートを履いたり自分がしたいファッションに身を包むようになった。

高校卒業後、アパレル店に勤務しながら、ジェンダーレスについてTwitterで投稿を始めた。「若い人たちにとって身近なSNSで、ありのままのセクシャリティーを発信したいと考えたんです」

すると、「勇気をもらいました」などメッセージをもらうように。聖秋流さんのツイートをきっかけにメイクを始めたという男の子から、TikTokでの発信を勧められた。

しかし、最初は怖かった。「周囲はありのままを受け入れてくれる人ばかり。どんなことを言われるかわからない怖さがありました」と聖秋流さんは話す。

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それでも、やるからには本気でやろうと決めて、ダンスや関西弁でのトーク、ファッションなど毎日投稿を開始。フォロワーが徐々に増えていき、インフルエンサーとしての地位を築いた。動画投稿を始めた時期について、「18歳やから、クリエイターのスタートとしては遅かった。もともと、人前に出て何かをするなんて絶対にないタイプ。今でも一人が好きだし。そうやろ?」と聖秋流さんが言うと、3人も深くうなずく。

「みんなも私は一人が好きって言うのはわかってくれているから」と話す聖秋流さんからは、メンバーへの信頼感が見える。

18歳で動画クリエイタースタートが遅いのか、と驚くと「今は14歳とかでみんな始めるから、18歳だと遅い」と、JESSICAさん。「私は基本はネガティブだから、みんなが褒めてくれるのが嬉しくて少しずつ自信がついてきました。今では、すべての人に好かれなくていいと思うんです」と聖秋流さんは真っ直ぐ話す。

みんなの太陽

「私はSNS始めたのがこの中で一番遅かったんで」と話すのは、メンバーみんなから「ぜろぷりの太陽」と称される、JESSICAさん。プロダンサー兼コレオグラファーとしてアーティストのMV出演や振りつけなど幅広く活動。ダンサーにとどまらず、プラスサイズモデルとしても活躍し、カラフルでハイセンスなファッションやメイクを見せている。

1995年に大阪で生まれ育ったJESSICAさんは、グループ最年長で弾けんばかりの笑顔が魅力。幼少期から明るくエネルギッシュで、そろばん、バレエ、新体操……「やりたい!」と思ったら次々と習い事を始めた。

「やるからには本気で」との家庭の方針から、すべてに全力で打ち込んだ。毎日習い事がある日々の合間に、友だちと30分走り回って遊ぶ。中でも一番ハマって、その後の“夢”にまでなったのがダンスだった。「ダンスを始めて、ますます人前に出るのが好きになりました」

中学では吹奏楽部に入り、トロンボーンとダンスを両立。高校は万が一ダンスができなくなっても、「なんとか仕事につながるだろう」と考えて商業科へ進学した。高校卒業と同時にプロダンサーを目指して、アルバイトをしながら練習に励んだ。

TikTokでの発信を始めたのは2021年。ほかのメンバーに比べて遅いスタートだった。「ダンサーやし、SNSでの発信も必要やなと思って」始めたという。

JESSICAさんと3人が出会ったとき、フォロワー数十万人いるインフルエンサーの3人に対し、JESSICAさんのフォロワーは8万人ほどだった。8万人も十分にすごいのだが、当時の3人があまりに圧倒的で気後れしてもおかしくない状況……。しかし、4人の出会いは、根っからの明るさを持つJESSICAさんがキーとなった。

人生で一番楽しい日

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2021年。それぞれがTikTokを中心に活躍していたころ、TikTok上でクリエイター同士のコラボレーション配信が流行っていた。momohahaさんが視聴者からのリクエストを受けて、大内さん、聖秋流さんとそれぞれコラボ配信を行い、意気投合。「3人でユニバ(ユニバーサルスタジオジャパン)に行こう」と盛り上がる。この時点ではオンライン上での交流のみで、直接会ったことはない。

ある日、大内さんが深夜にInstagramでライブ配信していたのを「大好きで、ファンの一人として観ていた」momohahaさん。なにげなく「ユニバ楽しみだね!」とコメントをすると、それを見ていた、大阪にいたJESSICAさん。「いいな、うちも行きたい!」と勢いでコメントをした。momohahaさんは驚いたが、JESSICAさんのことは以前から知っていたとか。

当時、JESSICAさんのダンス動画はフォロワー8万人とは思えないほど「異常に再生されていた」と3人は口をそろえる。

「最近この子見かけるな、めっちゃおしゃれだなって思ってました」(momohaha)「よく流れてくるなって見てたよね」(大内)

TikTokは、おすすめの動画が次々と流れてくる。フォロワー数や視聴者が増えていくと、おすすめ欄に表示されるようになる。日々TikTokに本気で向き合うクリエイター同士は、こうやって、お互いのことを知っていくのだろう。

JESSICAさんは「今思うと、私にとって3人は雲の上のような存在。だけど、ユニバ! 大阪! 行きたい!って、反射的にコメントしてて。とにかく会えるのが楽しみだった。今思うと……うちやるやんって思いますね」とおおらかに笑う。

Instagramライブの状況をまったく知らなかった聖秋流さんは、いきなりJESSICAさんがグループLINEに入ってきて驚いた。しかし、どこか内気な部分を持つ3人に対し、そこに飛び込めるJESSICAさんの明るさが、4人を強く結びつけた。

初対面のユニバは「人生で一番楽しかった日」と全員振り返る。ずっと笑って、ずっと楽しかった。遊び感覚で撮ったTikTokをアップしたら、1日で数十万回再生された。「この4人って相性がいいかも」と、4人ともに感じていた。

その後も、仲が良すぎて、Zoomで5時間、6時間お喋りをしていた。「出会ったばっかりなのに。私ずっと下着姿で踊ってたり(笑)。一生外に出されへん動画です」とやはり、ひたすら明るいJESSICAさん。

「グループを組まない?」声をかけるのが怖かった

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ちょうどそのころ、エイベックスに所属しているmomohahaさんは、YouTuberとして今後の方向性を模索していた。ある日、スタッフと話し合っていたら、「グループを組むのもいいかもね」という話になった。

14歳から8年間以上一人で活動していたmomohahaさんにとって、グループを組むのは勇気がいることだった。それでも4人で一緒にいる時の楽しさ、居心地の良さが忘れれない。「グループを組むの、この子達はどうでしょうか?」と事務所に伝えると「動画バズってたよね。めっちゃいいと思う!」と背中を押され、善は急げと、3人にLINEを送った。

「YouTube、一緒にやるのはどうかな?」

すでにTikTokで成功しているクリエイターだ。それなのに、グループでYouTubeをするのってどうなんだろう。返事が来るのに数日はかかるかな? と思っていると、

「私も思ってた!」

すぐさま、3人から返信が来た。“午前0時”に向けて、運命の歯車が動き出した瞬間だった。

大内さんは「聖秋流と遊んでたときに、4人でYouTubeもいいよねって話してたんです。でも、事務所も違うし、JESSICAはダンスの仕事もあるし、なかなか難しいよねって思ってたからすぐに返しました」と振り返る。

「今思い出しても、鳥肌が立つもん」「それあんた寒いからちゃうの?」「感動してんねんからやめてよ!」気づけば、わちゃわちゃと会話が広がっていく。

もっと上手くいくと思ったのに

しかし、華々しいスタートダッシュ……とは、いかなかった。事前にコンセプトや動画の方向性などを話し合って、グループ名も「午前0時のプリンセス」に決定。由来は、「どんな境遇にあっても、どんな個性を持っていても、午前0時の鐘がなって魔法が解けた後のありのままの自分達・あなた達が一番輝いている」という彼女達の信念から来ている。

エイベックスのプロデュースで、結成とチャンネル開設をお知らせするティザー映像も作成。公開するも、思いのほか伸びなかったのだ。

「直接叫んだほうがたくさんの人に届くんちゃう? ってくらい、再生数が伸びなかった」

それぞれが人気インフルエンサーだとしても、グループのYouTubeを観るかどうかはまた別。ファンであっても、シビアだった。登録者数も、8000人ほどで一度止まってしまった。

大阪でダンスの仕事をしていたJESSICAさんは「中途半端な気持ちでは始められない」と、仕事を複数やめた上でグループ活動に挑んでいた。4人とも真剣だったのだが、グループでYouTubeをするのは初めてのこと。どのくらい喋って、どのくらい一歩引いたらいいのか、グループならではの繊細な肌感覚がつかめずにいた。

しかし、そこは長年TikTokで動画クリエイターとして試行錯誤を重ねた経験を持つ4人。なかなか軌道に乗らないという壁にぶつかったことで、さらにギアが入った。

「今思えば、最初にしっかり食らったのがよかったよね」(JESSICA)「うん、個人のファンがそのまま来るわけではないんだって。ちゃんと、4人のグループのファンになってもらわないと、伸びないことがよくわかった」(momohaha)

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企画会議をして、動画を出して、視聴者の反応を見ながら修正していく。シンプルながら、この繰り返しで少しずつ感覚を掴んでいった。当初は「ディズニーランドで10万円使ってみた」などYouTubeの定番企画を多くアップしていたが、徐々に「ダイエット企画」や「赤裸々な恋愛トーク」など、彼女たちの個性を出した動画の反響が大きくなっていった。

周囲のスタッフも、普段の4人を知っているからこそ、「知ってもらったら勝ちだから」と励ましてくれた。お互いの気遣いやスタッフとの良好な関係のおかげもあり、うまくいかなくてもギスギスするなんてこともない。「今でも最善を尽くし続けている感覚です」と、4人は走り続けている。

マイノリティを発信すること

4人にはもう1つ、共通点がある。それは、マイノリティとしてのアイデンティティを持つことだ。もともと、個人活動の時点でオープンに幼少期の葛藤なども隠さずにいた3人に引き換え、大内さんだけは自身がレズビアンだということを、SNSでは積極的に発信していなかった。

「友だちも家族もメンバーも知っていたけど、マイノリティな部分はあくまでも一面。わざわざ大きく伝えることもないのかなと思っていたんです。ただ、撮影で恋愛トークなどするうちに、なんというか、嘘をついている感覚になっていって。今後もグループとして活動をしていくには、オープンにした方が私にとってもいいだろうと思いました」(大内)

いざマイノリティをオープンにすると、「勇気をもらった」「自信がもらえた」などの反響が続々と届いたことに、驚き、嬉しくなった。

「実際、私はオープンにしてからの方が、毎日楽しいんです。だから、隠しながら辛そうな人を見ると、悔しい。勇気を出して、誰か一人にでも言ってみると広がる世界があるかもしれないのになあって。一人で悩むことないんだよって伝わったらと思いながら活動している部分もありますね」(大内)

「やっぱり、発信していたら嫌な思いをすることは何かしらあると思うんですよ」聖秋流さんが言うと、全員が「あるある」と深くうなづく。「でもね、私たちは今ありがたいことに発信できる立場にある。葛藤を乗り越えたうえで今があるので、発信していかなきゃって思う」と、ジェンダーレスクリエイターとして5年以上発信している聖秋流さんの言葉には説得力がある。

「自分一人じゃない」と気づけること。これは、SNSのいい面だろう。発信することの楽しさと意義を感じている彼女たちのメッセージは、SNS上で人と人を結びつけていく。

発信は大変。だけど、楽しい

グループと個人の活動はどのようにバランスをとっているのか聞いてみると、「実は、グループでの動画撮影は月に6回。まとめて撮影しているんです。だからそのほかの時間は個人活動に充てています。このバランスがいいのかもしれません」(JESSICA)

「と言っても、プライベートで飲みに行ったり遊んだりはめっちゃしています(笑)」(momohaha)

出会ってから3年が経っても、一緒に仕事をする関係になっても、4人の絆は変わらないどころか、深まっている。

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グループ活動を経て、変化はあるのだろうか。

「JESSICAはそのままだね」3人が声を揃える。大内さんと聖秋流さんは心を開くのに時間がかかるタイプだったのが、今ではガードがすっかりなくなったと言う。

「ももちゃんは今でも笑顔の仮面つけてるとき、あるよね?」そう聖秋流さんがmomohahaさんに言う。意外にも、心を開くのに時間がかかったのが、最初にグループ結成の声をあげた、momohahaさんだった。

「ずっと一人で活動していたから、グループに慣れなかったんですよね。結成当初は、仕事とプライベートを切り分けた方がいいかなと思って、撮影が終わってみんながご飯に行くって言ってても『私帰ります!』って言ってみたり。全部行くと、しんどくなっちゃうかな? と不安で。でも、最近は自分から誘うようになりました!」とにっこり。

「もう、ずっと誘ってきます。だから断ってる!」とJESSICAさんがからかうと、その場が笑いに包まれる。

もう一つ、個人の発信へのスタンスが変わったと話すのは、大内さんと聖秋流さんだ。動画を常に発信することは、いつもクリエイター脳であることが必要不可欠。個人で軌道に乗るまでは毎日発信に取り組んでいたが、グループでの活動もあり「個人の動画更新へのモチベーションが少し下がっているんです」と話すのは、無理もないのかもしれない。

「でも、更新頻度が全く止まらないのが、momohahaとJESSICA。もう怖いですよ」

JESSICAさんは、発信活動を始めたのは4人の中で最後。そして、最年長でもある。「最年少の私がもうモチベーションなくなってきているのに、JESSICAは先頭を走ってるんです。尊敬しかありません」(聖秋流)「仕事の撮影が終わった後に『ちょっと待って、動画撮るから!』って言うからびっくりしますよ」(大内)

momohahaさんとJESSICAさんが個人発信を続けられているのは、純粋に楽しいからだと話す。

「自分が知られれば知られるほど楽しい! タイマー設定して投稿時間を決めて、毎日欠かさず投稿してますね。でも、SNSは誰でも始められるものではないなって実感しています。常にゼロから生み出すアイデア力や、継続力が必要。自己理解をしていないと、観ているみんなに届かないんですよね」(JESSICA)

「でも、結局、全員運が良かったんだと思います!」「それはそうやな」

力強く話す4人。TikTokやYouTubeを観て「遊んでるだけ」「好きに撮っている」ように見られることもある。しかし、運だけではここまで多くの人に届かないだろう。彼女たちは常にクリエイティブで、持久力もあるのだ。

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4人での活動はYouTubeに留まらない。イベントやウェブCMへの出演など、幅を広げている。2024年にはマイノリティの発信が目に留まり、「東京レインボーブライド2024」のアンバサダーも務め、ステージやパレードにも参加した。「本当に光栄なこと」だと話す。

「目指すはチャンネル登録者数100万人です」

出会った日から今日まで4人で走り続けてきた。「グループっていいな」「人と関わるのってきっと楽しい」そう、思えてくる。楽しみながら、無理がなく、でも、真剣に。賑やかなプリンセスたちは、これからも多くの人に寄り添い続ける。

Photo:是永日和

執筆
かたおか由衣

リゾート運営会社勤務後、専業主婦を経てライターに。教育や子育て、エンタメからライフスタイルまで幅広く取材記事やコラムを執筆。埼玉の山に囲まれたエリアで3人の子育て中。好奇心強めなオタク気質。X:@MomYuuuuui

編集、稀人ハンタースクール主催
川内イオ

1979年生まれ。ジャンルを問わず「世界を明るく照らす稀な人」を追う稀人ハンターとして取材、執筆、編集、イベントなどを行う。

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稀人ハンタースクール

ジャンルを問わず「世界を明るく照らす稀な人」を追う稀人ハンター、川内イオが主催するスクール。2023年3月に開校。世界に散らばる27人の一期生とともに、全国に散らばる稀人に光を当て、多彩な生き方や働き方を世に広く伝えることで「誰もが個性きらめく稀人になれる社会」を目指す。
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date 2024/11/13