先日Z世代のメンバーとSNSについて議論しているなかで、私がなぜZ世代のSNS利用率が高いのか聞くと、とこんな発言が返ってきた。
「SNSはもはや義務ですよ!友人の投稿をちゃんと見て、定期的に自分も投稿しないと!」
この発言に私は驚いた。さらに話を聞くと、SNSをやっていない人には人権がないとまで言い切る過激なメンバーも。「SNSを利用しない」という選択肢がない状況になるほど、Z世代のコミュニケーションにSNSは浸透しているようだ。
今回はそんなZ世代とSNSの関係について解説していく。
事前に投稿されたSNSの情報で
共通の会話が成り立つ
Z世代のコミュニケーションは、お互いの投稿を見ていることが前提で成り立っている。これが「SNSは義務」とまで言われている理由だ。あまり親しくない人と話すとき、話題に悩むことは多いが、SNSで相手の投稿を見ていれば、「あの映画見に行ってたよね?」「私もあのお店行ったことがあるよ!」といった具合に話題を提供できる。
モバイル社会研究所調査によると、小学6年生の半数がスマホを所持しており、中学2年生になるとスマホ所持率は8割を超える(2022年11月時点)。
みんながスマホを持ち始める時期に、スマホを持っていない子がどんな状況になるのか想像してみよう。スマホを持っている友人たちはお互いの投稿を見て、休日に何をしていたのか知っている。友人たちは投稿をもとに話を進めていくなか、一人だけ「あ、そうなんだ、知らなかった」という状況に陥ってしまう。
こうして、親にスマホをねだる子供は、「欲しい」という気持ちではなく、「必要だ」という焦燥感に狩られているのだろう。
コンテンツが多様化したZ世代にとって
SNSの投稿が数少ない共通の話題
Z世代が互いのSNS投稿をこまめにチェックする理由はもう一つある。それは、Z世代にとってSNSの投稿こそが、見落としてはならない最重要な「共通の話題」なのだ。
いまや、コンテンツの多様化に伴い、共通の話題はなくなりつつある。ひと時代昔は、子供たちにとってテレビが一番魅力的なコンテンツで、見る番組は自然と絞られていた。結果としてテレビを見ていれば共通の話題に困ることはなかった。
同様に、ほとんどのZ世代がYouTubeを見ている。しかし、見ている動画は人によってまったく異なり、共通の話題にはなりにくいのだ。同じことがNetflixやTikTokにも言える。
加えて時代に関係なく、友人など身近なコミュニティに関する話題が好きな人は多い。SNSの発達と定着によって、今まで以上に身近なコミュニティに関する話題は入手しやすくなった。この結果、SNSの投稿は共通の話題としてのポジションを手に入れたのだ。
SNSで作られる自分のイメージと
問われるアカウントとの整合性
Z世代にとって、友人とのコミュニケーションの多くがSNSをベースに成り立っている。直接連絡を取らずとも「フォロワー」である友人たちに自分の近況を知らせることができるし、知ることができる。これほど便利なツールはない。
しかし、その一方でSNSが「公共の場」であることによって別の弊害が生じていることを忘れてはいけない。
それは自分が見せたい、見られたい部分が強調されるあまり「キャラ化」が加速しているということだ。自身の陰の部分やコンプレックスは表に出ることはなく、陽の部分にのみフォーカスされた「SNSの自分」は拡張を続け、フォロワーたちから賛同を得てさらに理想的なイメージを形成していく——。
そこに「本来の自分」の面影はなく、フォロワーたちに塗り固められ肥大化した「SNSの自分」が誕生する。
こうして無意識のうちに「自分」を演じるようになったZ世代が、先の「スシロー事件」に代表されるSNSテロへと発展しているのだ。
カメラを向けられる恐怖。
なぜスシロー事件は起きたのか?
スシロー事件をはじめ一連のSNSテロ動画には共通点がある。その共通点とは、ほとんどの動画が自撮りではなく、友人に撮られている点だ。
友人から咄嗟にカメラを向けられたとき、カメラを向けられた当人には、イメージにあった行動が期待される。お調子者キャラの子はカメラを向けられると、まるでひな壇の芸人のように何か面白いことをしなければならない。
そうすると、最初の動画が出回ってから、模倣犯のように同様の動画が次々と投稿されたことも説明が容易だ。
回転寿司店でカメラを向けられたとき、まずスシロー事件の動画が頭をよぎっただろう。「何か面白いことをしろ」という友人からの圧を感じつつも、やることが思いつかずにプレッシャーに押し負けたお調子者キャラの子は、スシロー事件を模倣する。十二分にありうるシナリオだ。
SNSは「義務」というより
コミュニケーションには「不可欠」な存在
「そんなに悪影響があるならSNSなんてやめてしまえばいいじゃないか……」なんて声が聞こえてくる気がするが、Z世代にSNSを手放すことはできない。
「人と繋がっていたい」——これは人類の根源的な欲求だ。SNSはこの欲求を満たしてくれる。
SNSを通して人と繋がっている安心感や、友達のことをたくさん知っている快感を知ってしまったZ世代にとって、SNSは「義務」というよりも、人とコミュニケーションをとるうえで「不可欠」なものとなったのだ。
そして、SNSでつながっていない、あるいはやっていないという、事前情報のない相手とのゼロからのコミュニケーションは、Z世代にとっては稀なことになってしまっているのかもしれない。また、それが当たり前だった世代との、コミュニケーションの方法にも世代間に分断は生まれているともとれるのではないだろうか。
前回の記事では、「心理的安全性」「小さな炎上」というSNSの弊害について紹介した。今回の記事でも「キャラ化」という弊害を紹介している。これまで2回に渡り、SNSがZ世代に与える影響について書いてきたが、次回の連載ではSNSが社会やコミュニティに与える影響について解説していく。