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Race Across the West

砂漠の1,500km自転車レースを走った日本人。その先に見据えるものとは?【後編】

author: 頓所 直人date: 2022/10/17

2022年6月に開催された、アメリカ・カリフォルニア州をスタートする1,500㎞の過酷な自転車レースに一人の日本人が参加した。彼はなぜ、そのようなレースに参加しようと思ったのか。前後編の2回に分けて、勝敗の行方とともに、レポートする。

気温は40℃超え。夜の砂漠で距離を稼ぐ

コロナ禍による長い準備期間を経て、ようやく迎えたRAWのスタート。

6月14日12時22分、ギャラリーの歓喜とマイクによる実況の声に押し出されるようにして、落合さんは1,500㎞におよぶ過酷なレースに踏み出した。

1,500kmにおよぶレースがいよいよ始まった!

RAWには、数多くのルール(ルールブックは分厚い本1冊分ほどもある)があり、その多くはサポートクルーに課せられたものが多い。ルール違反でペナルティを食らうと、タイムが1時間加算されるなど罰則は厳しい。クルーのミスでライダーの邪魔をしてはならない。そのため、サポートクルーにも緊張感がある。クルーの大変さと面白さは、また別の機会にお伝えしたい。

16番目にスタートした落合さんは、スタート前に話していた作戦とは裏腹に順位を8位にまで押し上げていた。それでも落合さんの走りに力みはなく、水分補給や補給食もしっかりと摂っている。その冷静さは、彼の強さでもあり、クルーの緊張も和らげてくれるのである。

100kmを過ぎ、レースは砂漠地帯に入った。夕方になっても、気温はまったく下がらず温度計は40℃近くを指している。スタートから約5時間後の17:42、最初のTS(タイムステーションの略、通過チェックのポイントとなる)のボレゴ・スプリングス(142km地点)へ到着した。

初日から2日目までは、まだ前後の選手との距離も比較的近い。ゼッケンをつけた他チームのサポートカーも多い

RAWでは、スタートからゴールまでに14のTSが設置されている。ライダーはTSで停車する必要はなく、サポートクルーが専用サイトからオンラインでチェックインすれば通過が認められる。TSはガソリンスタンドとスーパーが併設された場所に設定されることも多く、ここで選手は補給や仮眠を取ったり、クルーも休憩や買い出しをするために停車することが多い。ところが、落合さんは止まらない。TS1でも停車することなく通過した。結局、レース中、落合さんがTSで休憩したことはなかった。TS1の通過後、しばらくして日没を迎えたが、気温はなかなか下がらない。

気温は高いものの、日差しがないだけでライダーにとっては走りやすい。特に寝ずに走る落合さんにとっては、夜は距離を稼ぐ時間帯でもある。睡眠時間については、しっかりマネジメントしており、途中で短い睡眠を取るものの宿に泊まることはしない。もちろん、それは記録を狙うからこその彼独自の走り方であって、決して一般的ではないし、真似するような走り方ではないことを記しておく。

全選手には、GPSの携帯が義務づけられており、サポートクルーはRAWの公式サイトからLIVE TRAKINGでほかの選手の位置を確認することができる。

2日目の朝を迎え、カリフォルニア州からアリゾナ州へ入ったTS4(約460㎞地点)のパーカーを早朝5時15分に通過した時点では、前を走るのは2人、PBP2019でトップフィニッシャーとなったマルコ・バロー選手と、過去にもRAWで好成績を残しているブラジルのファビオ選手だけとなっていた。気がつけば夜の間に順位を3位まで押し上げていたのである。

レースとはいえ、ウルトラロングほどの距離になると選手はばらける。そのため道路上で追い抜くこともあるが、選手がガソリンスタンドやコンビニなどで休憩している間に、気づかずに抜くことも多い。今回も気がつけば、大きく順位を上げていた。

TS4からTS5(約550km地点)のサローミーまでの約100kmの間、アイルランドのジョー選手と、3位を巡って幾度となく抜きつ抜かれつを繰り返す展開となった。その後、ジョー選手はTS5で休憩に入り、落合さんが走り続けたことで長かった3位争いは終わった。

コンボイが行き交うなかで、ジョー選手との競り合いを繰り広げる

TS5から先は約200kmで標高2,150m地点まで上がる長い長い登り区間に入る。気温が40℃を超えるなか、じっと耐えて進む時間が続いた。赤茶けた大地が、ただ延々と広がるばかりである。ここから、TS8(約804km地点)が設置されたカンポ・ヴェルデの街まで、順位が入れ変わることはなかった。

止まらない落合さん。2位との差が徐々に狭まる

落合さんがTS8に到着したのは、2日目の夜20時47分。前を行くファビオ選手は18時31分に到着している。その差は約2時間20分、距離にして45㎞から50㎞は離されている。ただ、走り始めてから32時間以上が経過し、走行距離も800kmを超えた。砂漠の日差しと暑さにより、選手の疲労も激しく、またクルーも消耗してくる。この頃から、TSなどで休む選手が増えてくる。ファビオ選手もTS8で30分ほど停車した。落合さんは依然として停まらない。

前方には、超えなければならない山が見える。砂漠地帯ではあるが上りは多く、1,500kmのレースで獲得標高は15,000mを超える
上りの途中。まだまだ笑顔で余裕が見える。気温は40度を軽く超えている

TS8を出てからルートは登坂区間に入る。体格の良いファビオ選手は、平坦に強いタイプで、登りに関しては落合さんにアドバンテージがある。さらに夜になっても落合さんの一定ペースは崩れない。その走りは、なおも力強く感じられる。GPSのドットを見ると、ファビオ選手は登りの途中で再び1時間ほど停車していた。落合さんとの距離が徐々に狭まっていく。

ちなみに、落合さんは、ここにいたるまでにバイク交換や補給、トイレなどで停車したのは合計でも1時間に満たない。補給も日中は道路脇からクルーが手渡すことがほとんどで、夜間は車がライダーの後ろ9m以内を走ることが義務付けられているため、車をライダーの横につけて並走しながらボトルなどを手渡すことで停車時間を削っていた。仮眠はまだとっていない。

GPSのドットを見ても、なかなかペースの上がらないファビオ選手に対して、一定ペースを刻み続ける落合さん。この後、思いもよらぬことが起きて、深夜に順位が入れ替わる。ファビオ選手が痛恨のミスコースをしてしまうのだ。

運命の分かれ道が、順位をも変えてしまう

RAWがスタートしてすぐに、運営本部からチャットアプリのディスコードを通じてコース変更の連絡が入っていた。TS9の置かれているフラッグスタッフの街の近くで大規模な山火事が発生しているということだった。その日の深夜に、フラッグスタッフを大きく東に迂回する新たなコースがディスコードから流れてきた。

ただし、情報は英文のテキストのみで地図はなく、距離や右左折の情報が書かれているだけ。それをサポートする車内で、しかも電波も途切れがちな砂漠エリアの環境下で走行ルートに落とし込むのは至難の業である。われわれクルーは、日本や現地にいるサポートクルーが迂回情報をまとめ、ルートアプリに落とし込んだ情報として送ってくれたので、大きな混乱はなかった。

迂回ルートでは、886km地点から90km先のウィンズロウまでをシャトル区間として、ライダーはサポートカーでの移動が指示されていた。夜中2時半頃にシャトル区間の起点に到着して、約1時間の車移動となり、この時はじめて落合さんは束の間の仮眠をとった。

一方、ファビオ選手はシャトル区間で誤ったルートを車で移動してしまう。後日、GPSのトラッキングデータを見ると、30分ほど誤ったルートを進んだ後、ミスコースに気づいたのだろう、猛スピードで迂回ルートへ復帰したのがわかる。このときの車内の様子を想像すると、同じクルーとしてゾッとしてしまう。

ファビオ選手にとって、このミスコースは致命的となった。ただ、迂回ルートの始まる地点までの登り区間(約50kmで1,200mほどアップ)で、落合さんはファビオ選手との距離を3km以内にまで縮めていたため、追いつくのも時間の問題だったのかもしれない。

文字通り運命の分かれ道を経て、シャトル区間を終えた落合さんは、TS9のウィンズロウを16日の夜中2時33分に2位で通過した。ファビオ選手も30分ほど遅れてTS9に到着。シャトル区間での仮眠もあって、落合さんもリフレッシュしての再スタートとなった。

シャトル移動の車内で1時間ほど仮眠をとり、レースはいよいよ3日目の朝を迎えた

たった5分の休憩が、その後の展開を左右する

アリゾナの砂漠に朝日が昇り、いよいよ3日目がはじまった。

見渡す限りの乾いた大地を照らす太陽はまぶしく、とても美しい。そんな景色のなか、地平線まで続く一本道を走っていると、サイドミラーに小さな影が見えてきた。ファビオ選手だ。シャトル区間の休憩を挟み、ミスコースの遅れを取り戻すためもあるのだろう。一旦、僕らの数十m後ろで息を整えるかのうようにペースを緩めたのち、とても力強い走りでサポートカーも落合さんも抜き去っていった。

バックミラーに映るファビオ選手

「ファビオ選手に追い抜かれたときに、特に焦りを感じることはありませんでした。もともと平坦に強い選手ですし、僕も追いついていこうとは思いませんでしたから、自分でも冷静だったと思います」とこの時の様子を落合さんが振り返る。ファビオ選手が見えなくなったところで、落合さんはサポートカーに入り、約10分間の仮眠をとった。

落合さんを一気に抜き去ったファビオ選手だったが、その後、2人の距離は4、5kmを保ち続けていた。TS10(1,090km地点)のチューバシティでファビオ選手が30分ほど停車したため、そのまま通過した落合さんが再度追い抜き、今度はファビオ選手が追う展開となり、ユタ州に入ったTS12(1,278km地点)のメキシカン・ハットまでその状態が続いた。

観光名所にもなっている『モニュメント・バレー』が見えてきた

3日目の夜になり、いよいよゴールのコロラド州デュランゴまでも残すところ220kmとなった。予定通り進めば、朝を迎える前にゴールとなる。ところが、ここから最終盤にかけて思いもよらない展開が待ち受けていた。

およそ1,300kmが過ぎた頃、落合さんがトイレ休憩のために小さな街のレストランで5分ほど停まっているときだった。ファビオ選手とサポートカーが、煌々とヘッドライトで道を照らしながら走り去っていくのだった。トイレから戻った落合さんに、「いまファビオ選手が抜いていった」と伝えたところ、冷静な落合さんがぎょっとしたように目を開き、驚きの表情を浮かべると、すぐにバイクに跨り追撃体制に入った。

このときのことをレース後に落合さんに聞くと、「10kmぐらいは離れていると思っていたから驚きましたけど、ファビオ選手はスピードも速いし、追いつくのは難しいだろうと。まあ、自分のペースで行こうかなと思いました」と特に焦ってはいなかったという。

むしろ、焦っていたのはクルーの方だった。このトイレ休憩に入る直前まで、スマホの電波がなく、ファビオ選手との位置関係を把握できていなかったのだ。正確な距離を伝えられずにいたことに負い目を感じ、落合さんを促し、追撃を試みることにした。

ようやく見えた前をゆくテールランプ

TS13(1,341km)のモンテズマ通過時刻は、21時27分。ファビオ選手との差はほぼない。ここからゴールのデュランゴまで残り160kmの間に、今大会での最高地点となる2,600mの峠を超えなければならない。ルートはいよいよ最後の登り区間に入っていく。

大きな月が山の形をうっすらと浮かび上がらせるだけで、真っ暗な山道には人家の明かりもない。そんな暗闇の先に、時折ゆっくりと進む車のテールランプが見える。ファビオ選手のサポートカーだ。ついに視界に捉えた。

ファビオ選手のサポートカーを前方に捉えた!

「追い付くことを意識せずに走っていたんですが、追い付いたので横に並んであいさつしようとしたんです。というのも、ファビオ選手は僕を抜く時に、トップガンのトム・クルーズみたいにこちらを見て指を2本立ててポーズを決めて、抜いていきましたから。なので、こちらも横に並んであいさつしようと並んで声をかけたら、完全に無視されました。それどころか、ダンシング(立ち漕ぎ)で勢いをつけて先に行ってしまったんです」

その瞬間、落合さんは「これはレースなんだ」と強く思ったという。

1,500kmにおよぶレースの最後に、まさかこんな展開が待っていようとは誰が予想できただろうか。ここから、2位をかけた130kmにわたる激しいデットヒートがはじまった。

時間差が開かないジレンマとの戦い

ファビオ選手がダンシングで一気に加速して先行したことで、自転車人生ではじめての「レース」を身をもって経験することとなった落合さんは、すぐにでも追いかけようとしていたが、まだ残りは130kmある。それにルートは落合さんが得意とする夜の登りだ。ここは一度冷静になるために、サポートカーから、バイク交換を提案した。

「ファビオ選手は登りでは、そこまで速度は上がらない。それに、さすがに疲労があるから出力もでない。登りに強い落合さんなら、いつものペースでも十分に追いつける」と逸る気持ちをあらわにする落合さんの気持ちを落ち着けて、バイク交換をしてから再スタートした。

バイク交換で差は開いたが、1時間後の23時半にはファビオ選手の後ろに付くことができた。そこで落合さんにボトルの水やサプリメントウォーター、それからここぞというときに飲む『BOOST SHOT』という栄養ドリンクで補給を促し、呼吸も整えさせる。いつも冷静な落合さんが、このときばかりはゲートが開く前の競走馬のように鼻息荒く、追撃を待ちきれない様子でペダルを踏んでいた。抜く準備はできた。サポートカーから身を乗り出して声をかける。

「よしっ、落合さん、行けーーっ!」

機を逃さず、一気に追い抜きにかかる!

この言葉を合図に、落合さんが発射する。徐々にスピードを上げ、ファビオ選手のサポートカーの後ろに付くやいなや、腰を上げ、力強くペダルを踏み込み、登りとは思えない加速で一気にファビオ選手との距離を詰める。サポートカーを左から追い越し、そのままファビオ選手も引き離しにかかる。その勢いに、ファビオ選手も追いつけない。ファビオ選手との差が30mほど開いたところで、われわれサポートカーもファビオ選手たちを追い抜き、落合さんの後ろに付いた。

細かなアップダウンを繰り返しながら、落合さんはなおもペダルを踏み続ける。背後を気にしつつ、力を使い切らないようにしながら登りをこなしていく。ファビオ選手もなかなか諦めない。登りのカーブで見えなくなったかと思いきや、緩斜面に入ると猛然と差を詰めてくる。その差は一向に広がらない。時折、坂の上の暗闇から突然、強烈な向かい風が茶色い砂塵となって吹き付ける。

ファビオ選手はカリフォルニアで、落合さんの4分後にスタートした。勝つためには、最低でも4分差をつけてゴールしなければならない。登坂の途中に設定されたTS14(1406km地点)のコルテスを通過した時点で、ファビオ選手との差は約8分となっていた。落合さんの通過時刻は、午前0時40分だった。

頂上が近づくにつれて、傾斜もキツくなる。落合さんがしきりにファビオ選手とのタイム差を聞いてくる。ところが、コロラド州の山中で通信状況が悪く、クルーもGPSでの正確な位置がなかなか掴めない。そうした状況のなか、14分差がしばらく続く時間帯があった。

クルーが落合さんに何度目かの「タイム差14分」を伝えたとき、落合さんは思わず「あいつ、まだあきらめてないんか!」と強い口調で言い放った。全力でレースをしているからこそ口を突いて出た強烈な言葉だった。普段、あまり感情をむき出しにすることのない落合さんだからこそ、そのひと言に気持ちが溢れていたように思う。

永遠に続くかと思われる上りで、ひたすら踏み続ける

長かった登りを終え頂上へ達したのは、深夜3時20分。ここからゴールまでの残り30kmは下りである。相変わらずGPSではうまく相手の位置を掴めない。深夜の下りでは、突然、道路脇から獣が飛び出すことがあるため慎重に、それでもいつもより攻めて下る。

ゴールとなるコロラド州デュランゴの街に入り、ゴールゲートが設置された公園を目指す。午前3時56分、1,500kmにおよぶ長いレースを終え、ついにゴールゲートをくぐった。喜びが込み上げるが、ファビオ選手とのスタート時の時間差である4分が経つのをじっと待つ。4分経ってもファビオ選手の姿は見えない。ようやく勝利を確信することができた。結局、ファビオ選手がゴールしたのは30分ほどしてからだった。

初出場で総合2位、U-50カテゴリーで優勝という、素晴らしい結果を残すことができた。

「1,500kmという距離は、これまで何度も走っているので完走はできると思っていました。ただ、1,400kmも走った後で100km以上も全力で走るって、普段だったら絶対にイヤですよ。ゴールしたときは、緊張感とか疲労感とか、すべてが終わった安心感がありました」

ゴール後、運営スタッフから渡された完走記念のメダルを持って安堵の表情

来年2023年に出場を予定しているRAAMは、RAWでゴールしたデュランゴの地点で、まだ全体の3分の1も走っていないことになる。いったいどんなレースになるのだろうか。期待と不安が入り混じるが、落合さんの来年の走りに期待せずにはいられない。


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編集者・ライター
頓所 直人

​1976年生まれ、東京都出身。2001年より週刊誌のフリーランス記者としてキャリアスタート。2011年東日本大震災での長期取材を基に集英社ノンフィクション新書より『笑う、避難所』を上梓。2014年頃より企業への取材が増え、現在では経営トップのインタビューも多く経験する。一方、自転車を趣味とし、自転車にまつわるあらゆることに“取材”と称して首を突っ込み、発信している。
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