変人ぞろいのクラシック音楽作曲家界にあって、さんぜんと輝く超個性派。その人間性に疑問を持たれ続ける第一人者はワーグナーである。泣かせたのは女性ばかりとは限らず、あらゆる関係者がとんでもない迷惑をかけられてなお、その人ったらしな性質の完成度が高すぎて、結局はそれがまかり通ってしまう稀有な漢である。筆者も正直どこまでその高潔なるダメ男を文章で表現できるか自信がなく、ここまでの連載の中で敢えて避けてきたのだが、いよいよその魅力に迫ろうではないか。
1813年 (0歳)
ザクセン王国ライプツィヒで生まれる
1831年 (18歳)
ライプツィヒ大学に入学
1833年 (20歳)
ヴュルツブルク市立歌劇場の合唱指揮者
1836年 (23歳)
ミンナ・プラーナーと結婚
1843年 (30歳)
ザクセン国立歌劇場管弦楽団指揮者となる
1849年 (37歳)
ドイツ三月革命の革命運動に参加。スイスへ亡命
1870年 (57歳)
コジマと再婚
1876年 (63歳)
自身の作品のためのバイロイト祝祭劇場完成
1883年 (69歳)
ヴェネツィアにて旅行中に死去
妻も嫌気がさすモラハラ夫
のちに「私は神とモーツァルトとベートーベンのことだけは信じている」と言い放った、唯我独尊ワーグナーは、1813年、今のドイツ・ライプツィヒに生まれた。早熟のワーグナーは音楽だけでなく文学や哲学にも興味を示し、17歳ごろからは独学で作曲を始めるようになる。18歳で大学に進学するも数年で中退し、合唱指揮者の職を得て、実施体験で音楽の世界に入っていく。
その頃、最初の妻であるミンナ・プラーナーと結婚するも、大した仕事も収入もないのに、いつもどこかから借金をして贅沢な暮らしを続けていた。ご想像のとおり、ワーグナーもまた作曲家あるあるで、借金を踏み倒すことを続けていた。ミンナはワーグナーより4つ年上の女優である。そんな彼女を口説き落として結婚したワーグナーは、その俺様気質と独占欲の強さが相まって、結婚直後からミンナの行動を縛り付け、監視し、我が物にだけしようとした。完全にモラハラ夫である。そんなワーグナーに嫌気がさしたミンナは、結婚一年目にして浮気をし、さらにその相手と駆け落ちしていなくなってしまう。いいぞ、ミンナ。
とはいえ、離婚したわけではなく、だらだらとこの二人の関係は続いていく。この女の心を支配するワーグナーの振る舞いは、後の妻に対しても大きな影響を与えている。ミンナの奔放さにつられてワーグナーも俺様度合いが加速し、さらにあちこちで借金をしては贅沢をし、踏み倒してはお尋ねものとなっていた。
亡命先のスイスで複数のパトロンに出会う
それでもなんとか作曲を続けているうちに、その才能に気づく人々が現れ、ついに30歳でザクセン王国の宮廷楽団ザクセン国立歌劇場管弦楽団(現シュターツカペレ・ドレスデン)の楽長(指揮者)に任命され、地位と収入を得られるようになる。これでやっとまともに生きていくかと思いきや、今度は市民と一緒に革命運動に参加、逮捕される寸前という自体になる。そこでワーグナーは、隣国スイスへ作曲家でピアニストのリストを頼って亡命をする。リストはそれまでもワーグナーになにかと親切にしていた恩人でもあった。
亡命先のスイスで作曲を続けるワーグナーを支えたリストは、彼の作品とその将来性を信じていた。そんなリストを見ていたスイスの社交界の面々もワーグナーに一目おきはじめ、複数人の富豪パトロンが現れた。音楽界の大御所であるリストの庇護を受け、パトロンまで見つけて生活しながら作曲できるのだから、少しは大人しくしていたかと思うと、全くその気配はなく、こともあろうか大事なパトロンの奥様と恋仲になってしまう。しかも二度も。
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この時の不倫相手とのあれやこれやを元にしたのが、かの名作楽劇『トリスタンとイゾルテ』である。またこの頃『ヴェーゼンドンク歌曲集』という美しい作品も生まれ、パトロン奥様としては大満足であっただろうと思う。自分への熱情を糧に大作曲家が後世に残るほどの名作を生み出すわけである。しかもその生活を支えているのは夫の財力。「こんな心躍る楽しいことは人生そうそうないわね」、というところだろう。
もしかしたら、そのことも全部含めてパトロン富豪旦那は資金提供もしたかもしれない。自分がお金を出してやり、なんなら奥さんも貸してやり、別に離婚するわけでもない。完全に旦那が一枚上手である。しかもそんな一時の興奮で、退屈な富豪の毎日に音楽というスパイスができる。そう思うと、意外とワーグナーが遊ばれているだけかもしれない。富豪パトロンたちもそれくらいしてもいいと思うほど、ワーグナーの才能が買われていたのだろう。
恩人の娘と不倫関係に
さてさて資金援助していたのはリストも同じで、亡命の手助けをしてくれた大恩人でもある。そんなリストも、とうとうワーグナーを絶縁するにいたる。なんとワーグナーは50歳にして、リストの娘コジマに恋焦がれるようになる。
コジマも以前から父の知り合いでもあるワーグナーに興味を持っていたようで、再会後に親密さが増していく。コジマはワーグナーより24歳年下で、当時は売れっ子指揮者であったハンス・フォン・ビューローの妻だった。ビューローとの間に二人の子供がいたが、ワーグナーと不倫関係になった後に三番目の子供を産む。ワーグナーの子供である。この時生まれた子供は、ワーグナーの作品タイトルからイゾルテと名付けられた。コジマもなかなかである。
一方のビューローはそのいわくつき『トリスタンとイゾルテ』の初演や、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』初演まで指揮している。今に続くワーグナー作品のはじまりが、この妻の浮気相手の作品を振った指揮者との間にあるのだから、頭が痛くなるような複雑極まりない関係である。ビューローはそれほど、ワーグナー作品に惹かれていたのだろうか。才能ある音楽家の新しい作品が目の前にあれば、妻とその作曲家が浮気している上に、子供までできていても、それを凌駕する作品の魅力があったのだろうか。それともワーグナー自身の魅力なのだろうか。
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国王までも虜にするワグナーの魅力
その答えを、ドイツの美しい白い城ノイシュヴァンシュタイン城を建てた王が持っている。バイエルン国王ルートヴィヒ2世は、美しいもの全てを愛した。音楽もそのひとつで、ワーグナーの作品に傾倒し、国が傾くほどの莫大な資金を使ってワーグナーの楽劇だけのためのバイロイト祝祭劇場を作るに至る。ワーグナーは音楽だけでなく、舞台美術や演技に加え、その劇場でさえ自分の楽劇の一部だと考えていた。劇場建設は総合芸術の真骨頂である。その思いに一国の王が応えたのだ。ここまで来るとワーグナー自身に魅力があるとかどうとか言い出すのも難しい。みんなしてワーグナーが生み出す作品に全身全霊と財産をかけているようにしか見えないのだ。
つまりは、この時代のワーグナーを取り巻く、社会的地位も権威も資金もある男たちは、「芸術の高みを見たい」という熱望だけで突っ走っていたのではないかと思う。その大義の中にあっては、妻が作曲家と寝ようと国家予算が無くなろうと、そんなことすらどうでもよかった。おそらくワーグナーさえ、その中心でありながらも自身の芸術の下僕だったのではないか。
難しい論文を書き連ね、聞いていて気持ちが疲れるほど壮大で力強い音楽と舞台美術を、さらに何時間も続けるあの超大作たちを生み出した唯我独尊作曲家。当時それに人生をかけた熱狂的なファンがいても少しもおかしくはない。今でさえその熱が冷めていないのだから、ワーグナーが生きている時代にその作品の誕生に居合わせた人々が、それにそれほど心酔したか想像に難くない。
不倫の末にワーグナーと再婚したコジマは、生涯献身的にその作品創出に尽くした。今もワーグナーとコジマの子供たちの子孫が、音楽業界でワーグナー作品上演の大きな役割を担っている。時には命と作品を引き換えるような立場で奮闘しているのだ。恐ろしい。それほどの力がまだこの作品たちにはある。
このコラムでいつもそうであるように、ワーグナーについても下半身と金銭感覚にだらしない作曲家を面白おかしく書こうと思っていた。しかしワーグナーのそばにいた女性たちの人生に思いを馳せたとき、全く違う解釈になってしまったのだ。女性関係もそれほど大したことなく、そこにエロスの匂いすら希薄で、リストのように日直当番制かというほど派手に遊ぶわけでなく、ドビュッシーのように己に酔いまくって女性との縁がうまく切れずに、自殺させるほどの恋愛でもない。いっちゃ悪いがそれほど特筆すべき下半身ネタはない。ワーグナーと関係を持った女性たち数人も、ピロートークで新作の構想が聞きたかったのではないかと思うくらいだ。
男性に対してもひとったらし的な魅力があったと言われているが、ワーグナー自身に心底親身になっている雰囲気ではない。彼が生み出し、またこれから生み出すであろう作品に興味があっただけではないか。ワグネリアン。それはワーグナーを愛している単なるファンなどではなく、むしろワーグナーの作品の魅力に抗うことのできない純粋なる「芸術の神の下僕」なのだ。