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三重県伊賀市で実際に使われていた文化財

オカルトコレクター相蘇敬介氏、「手引き霊柩車」を譲り受ける

author: 西川 マレスケdate: 2022/05/28

「手引き霊柩車をもらいに三重まで行くから手伝って」などとおかしな事を言い出したのは、例によって友人の相蘇敬介さんだった。すごい。この短いワードのすべてが分からん。手引き霊柩車とは何か。霊柩車を貰うって何だ。なぜ三重に行くのか。当然の質問は、「この記事を読め」の一言で片付けられた。

「手引き霊柩車、無償で譲ります 供養済み「有効活用して」伊賀市の沖区【伊賀タウン情報 YOU】」

三重県伊賀市沖区の不動寺には、もう使われなくなった手引き霊柩車が長年保管されている。この度処分が決定したが、実際に葬儀で使われていたものが解体されるのは忍びないので引き取り手を探している、との内容だ。

「手引き霊柩車」とは、宮型霊柩車の神輿のような装飾が施された部分を、リヤカーに乗せて人力で引けるようにしたもの。80~90年代くらいまでは全国的に使われていたようで、原田知世版の映画『時をかける少女』(1983年)にも登場している。

記事に掲載されている手引き霊柩車は、屋根が銅板でふかれ、側面には龍や鳳凰、狛犬などの彫り物があしらわれた豪華なもので、保存状態もいい。オカルトコレクターである相蘇さんはその造形に一目惚れし、上記の記事掲載の翌日には連絡を入れた。その時点で問い合わせはすでに20件超。最終的に約600件に膨れ上がった申し込みから、厳正なる審査を経て、相蘇さんへの譲渡が決定したそうだ。

なんで? 600件のなかにもっと相応しい団体や人物がありそうな……。

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 相蘇さんへの譲渡が決まった、見事な造形の手引き霊柩車。まだ土葬の風習が残っていたころに、伊賀市沖区で実際に使われていた。

維持費をいとわないコレクター精神

相蘇さんから電話があったのが2022年3月12日。この日私に伝えられたのは、引き渡し日が翌週20日であり、当日は霊柩車の供養を改めて行うという予定のみ。記事によると、リヤカー部のタイヤの高さと取っ手の長さをあわせ、手引き霊柩車のサイズは全長3.7×幅1.3×高さ1.7mにもなる。まず、こんな巨大なものをどうやって持ち帰るのか。持ち帰ったとして保管場所はどうするのか。具体的な手段は何ひとつ決まっていなかった。来週の話なのに。

何を隠そう、相蘇さんはテレビや映画の小道具を制作したり特殊メイクを行う会社「リンクファクトリー」の社長であり、立川に工房を構えている。霊柩車は工房に保管しておくのかと思ったら、「仕事の制作物でパンパンなのに、私物の霊柩車なんか置いたら社員に怒られる」と言う。では自宅に置くのかと聞けば、「世界各地から収集したオカルトグッズでパンパンなのに、そのうえ霊柩車なんか置いたら離婚されそう」と言う。相蘇さんの肩書きは社長だが、残念ながら職場でも自宅でも権力がない。

しかもこの時期、相蘇さんは大変忙しかった。「連載30周年記念 地上最強刃牙展ッ!in東京ドームシティ」という超ビッグイベントが開催中であり、リンクファクトリーの制作物が多数展示中だったのだ。後期展示の目玉となる「等身大 花山薫」も鋭意制作中である。

2022年3月5日~4月17日まで、東京ドームで開催されていた「連載30周年記念 地上最強刃牙展ッ!in東京ドームシティ」。

なぜそんな忙しい時期に霊柩車を受け取りに行くのかと言えば、今回ばかりは相蘇さんの無計画っぷりが原因ではない。当初は4月に引き渡しの予定が、先方の都合で3月20日になってしまったらしい。日程の猶予もなく、もはや2トントラックをレンタルして相蘇さんが直接運転するしかないと思われたが、友人のツテで直前になんとか配送業者が決まった。料金も、お友達価格で破格の10万円で済んでいる。

ただ、手引き霊柩車自体は無償で譲っていただき、運搬料が格安で収まったとしても、相蘇さんの金銭的負担は一向に軽くならない。なぜなら、霊柩車の保管先として、結局倉庫を借りることを決めたからだ。賃料は月々2万円。あと敷金が2ヶ月で保証金が4ヶ月分。

特に用途が決まっていないものを所有するために、今後ずーっと月2万円払い続ける覚悟を決める。これが身内の話なら今すぐ解約するよう全力で説得するが、コレクターとしては肝が据わっていてとてもエライ。この覚悟が先方に伝わり、地域で大切に保管されていた手引き霊柩車の預け先として、相蘇さんが選ばれたのかもしれない。

手引き霊柩車の供養を済ませ、いざ東京へ

手引き霊柩車の引き渡しには、相蘇さんと私のほかに、映像関連の仕事をしている永井尋己さんと、永井さんの友人である若手カメラマンのRalph Spielerくんも同行した。相蘇さんが手引き霊柩車を譲り受ける様子を、映像と写真のプロにしっかり記録してもらうのだ。

不動寺に到着すると、供養を執り行ってくれる識仁(しきじん)住職をはじめ、すでに檀家の代表を務める方々が揃っていた。また、件の手引き霊柩車の譲渡先募集の記事を担当された、「伊賀タウン情報 YOU」の須田記者も取材に訪れている。準備も整っているので、すぐに手引き霊柩車の供養が開始されることに。

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寺の境内に手引き霊柩車が設置され、相蘇さん立ち会いのもと、改めて供養が執り行われた。

供養が行われる間、周りの方々に少しお話を伺うことにした。なんだって600件もの中から相蘇さんが選ばれたのか。どうしても気になる。その疑問に答えてくれたのは、檀家の藤島さんだった。

実は当初、京都の太秦映画村に引き取りを打診したという。しかし、これは断られてしまった。太秦映画村と言えば時代劇のロケ地だが、確かに時代劇の葬儀シーンで手引き霊柩車は見覚えがない。丸い桶に入れて運ばれるイメージだ。手引き霊柩車を引き取っても、使い道がないのだろう。

また、問い合わせ自体は約600件あったものの、単なる興味本位であったり、その後連絡が取れなくなったりする人も多く、しっかりと保管してくれそうな最終候補は5組にまで絞られたそうだ。なかには、珍スポットとして名高い静岡県伊東市の私設テーマパーク「まぼろし博覧会」の名前も含まれていた。そんな厳選された5組から、相蘇さんがいかに選出されたかと言えば、なんとくじ引きだったそう。相蘇さんの物欲と執念は、運をも味方に付けたらしい。

「最後はくじ引きで決まった」と、相蘇さんの強運っぷりを話してくれる檀家の藤島さん。

供養は30分ほどで無事終わり、すでに到着していた配送業者のトラックに積み込むことに。トラックの荷台に鉤爪付きのレールを引っ掛け、数人がかりで手引き霊柩車を押し上げる。積み込んだあとがまた大変で、下はタイヤなので転がらないようにロックする必要があるし、屋根は銅板なので柔らかく、そのままロープを掛けると変形してしまう。屋根を傷つけないように慎重に固定され、東京に向けて出発するトラックを見送った。

ちなみに、このとき東京で手引き霊柩車を降ろす方法は何も考えられていない。積み込みに利用した鉤爪付きレールは檀家さんの持ち物であるので、東京には持っていけないのだ。トラックに昇降機は付いていないし、手引き霊柩車を人力だけで持ち上げるのも無理がある。どうするのかと思っていたら、結局、配送業者の方がどこからかレールを借りてきてくれ、なんとか無事降ろせたそうだ。

手引き霊柩車を、数人がかりでトラックに積み込む。鉤爪付きレールを借りられたので乗せるのはスムーズだったが、降ろす方法を考えていなかった。
帰る前に、不動寺から少し山道を登った先にある墓地を訪れた。かつて土葬の風習が残っていた頃は、ここまで手引き霊柩車を引いてきたそうだ。墓地には、ピラミッドのような立派な無縁塔もあった。

1980年、群馬生まれの手引き霊柩車「風冠号」

こうして、晴れて相蘇さんの所有となった手引き霊柩車だが、実は製造元がはっきりしている。須田記者に見せていただいた沖区の資料によると、1980年に「群馬県の石田株式会社から95万円で購入」と記録されており、「風冠号」という立派な名前まで付いているのだ。

この会社がまだ存続しているなら、「風冠号」が制作された経緯や、依頼があれば今でも制作してくれるのかといった点をぜひ聞いてみたい。しかし、なにぶん40年以上前の出来事であり、「石田株式会社」の名前だけでは、ネットで検索しても見つからない。

どうしたものかと悩んでいると、須田記者から群馬県霊柩自動車協会の存在を教えていただいた。霊柩車の協会なんてものがあるのか……。せっかくなので問い合わせてみると、会長の大和祥晃さんにお話を伺うことができた。

製造元の石田株式会社についてご存知ないか尋ねると、「かつて石田という葬儀社はあったが、現在は別の会社に買収されてなくなったうえに、葬儀社なので霊柩車の制作とは関係がないと思う」とのこと。また、今でも車を改造して霊柩車にする会社はあるが、手引き霊柩車はさすがに作っていないそうだ。「風冠号」もおそらく、木工所かどこかで制作されたのではないかという。

残念ながら「風冠号」のルーツは辿れなかったが、群馬県でも、かつては手引き霊柩車が使われていた地域が多く、まだ手引き霊柩車が保存されているところはいくつかある、との興味深いお話も聞けた。

そういえば手引き霊柩車どころか、宮型霊柩車すら、最近はまったく見ない気がする。調べてみるとその感覚は正しく、ここ数十年で宮型霊柩車は消滅の危機を迎えているそうだ。宮型霊柩車は派手な外観が目立ちすぎるため、地域住民に嫌がられる場合が多く、乗り入れを禁止する火葬場も増えている。また、メンテナンスなどの維持費がかかりすぎるのも、台数が減り続ける原因だという。

ほんの少し前まで当たり前だった風習が、こうして消えていく。ましてや、手引き霊柩車を見かける機会など、今後もうないだろう。群馬県霊柩自動車協会の大和会長も、子供のころに手引き霊柩車が使われるのを一度見たきりだとおっしゃっていた。

形あるものは壊してしまえばそれっきり。相蘇さんのようなコレクターが所有して形を残すのも、これはこれで立派な社会貢献ではなかろうか。せっかく大事に保管するのだから、「風冠号」にはもう一度くらい活躍の場があってもいいと思う。相蘇さんが万一私より先に他界することがあれば、しっかりとこの手引き霊柩車に乗せて見送ってあげたい。

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手引き霊柩車が東京に無事到着し、桜の下の記念撮影でご満悦の相蘇さん。なお、この公園に霊柩車を引いてくるまで、一般道に多大な迷惑をかけている。

別の手引き霊柩車を見るなら、まぼろし博覧会へ

珍しく相蘇さんの収集癖が世間様の役に立っていることに感心していたら、相蘇さんのオカルトコレクター仲間である田中俊行さんも、手引き霊柩車を所有しているという恐ろしい話を聞いた。この令和の時代に、狭い知人関係で、そんなカジュアルに手引き霊柩車の個人所有者が2人もいることある……? 

その後田中さんと直接会う機会があったので、手引き霊柩車は今どうなっているのか尋ねると、もう手元にないと言う。手引き霊柩車を入手したものの、友人の家に半年ほど置きっぱなしで持て余していたところ、欲しがっている人がいたのでこれ幸いと寄贈してしまったらしい。

その寄贈先がなんと、「風冠号」の譲渡先を巡って相蘇さんと最後まで競っていた、あの「まぼろし博覧会」である。狭い範囲で手引き霊柩車の所有者が複数いることに驚いたが、欲しがっているメンツがだいたい同じなのだから、当たり前ではないかという気がしてきた。結局コレクターは、欲しいと思ったら何がなんでも手に入れるし、回りまわって収まるべきところに収まるのだ。

というわけで、相蘇さんが譲り受けた手引き霊柩車の活用方法は特に決まっていないが、まぼろし博物館では、田中さんから寄贈された手引き霊柩車が、すでに一般展示されている。実物を見たい方は、ぜひまぼろし博覧会を訪れていただきたい。

以前に田中さんが所有し、現在はまぼろし博覧会に寄贈された手引き霊柩車と、館長のセーラちゃん。一般展示されているので、まぼろし博覧会を訪ねれば実際に見ることができる。

まぼろし博覧会
TEL:0557-51-1127
在地:静岡県伊東市富戸梅木平1310-1

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西川 マレスケ

パソコン自作雑誌の編集を経て、フリーライターとして独立。standards社のiPhone・Android解説ムック「便利すぎる! テクニック」「完全マニュアル」シリーズなどの執筆を担当する。趣味はジビエや釣りや昆虫食など、自分の手で獲って自分で調理して食べる珍食探求。たまに仕事につながったりしている。
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