「考える前にまず動け!」
すでに啓蒙や説教の場などでも散々使い古されてきた、しかし、いまだ性別・分野・世代・肩書を問わないすべての人々のハートに響く永遠に色褪せないメッセージである。また、とくに体力的にも知力的にもまだ「フットワークの軽さ」を最大の武器とできるZ世代にとっては、より「座右の銘」とすべき、もはや「格言」とも呼べる金言であろう。本コラムは、還暦間際のベテランライターが老体に鞭打ちながらも、
「考えるな! 感じろ!」
…と、自身を奮い立たせてさまざまなジャンルの「新しい経験」にチャレンジし、そこで得た感動と成長をZ世代の読者諸君にも伝えたい! …そんな想いを込めた体験ルポ型の連載企画である。願わくば、ここで紹介するアダルトなイベントやスポットに若いあなたが少しでも興味を示してくれたなら、なお幸いだ。
『Beyond』読者である、先行きの読めない苛酷な現代社会をしたたかに生き抜くZ世代の皆さま、はじめまして。山田ゴメスと申します。
連載第一回目ということで、今回は少々自己紹介をしておこう。
その道約30年のベテラン文筆家&イラストレーターで、まもなく還暦を迎える。書籍やテレビやインターネットなどから膨大な知識を蓄え、それを武器とするタイプの文筆家ではない。実際、読書量も自宅にある本棚の充実度も同業者と比較すれば「並の下」か「下の上」といったところであり、一冊の書物から担保できる情報の数も相当に少なめだと思う(=燃費が悪い)。
ただ、経験から情報を(やや強引に)引っ張り上げる才能には我ながらなかなかに長けており、1の実体験を10にも20にも膨らませる作業はお手のものだ。
そんなタイプの文筆家であるゆえ、大病でも患わないかぎり何歳になっても「新しいことへのチャレンジ」の機会を貪(むさぼ)りながら一日一日と対峙し、日銭を稼いでいる。
「新しいことへのチャレンジ」は、とくに大仰なものじゃなくていい。
たとえば、わたしは昨年までサウナで水風呂に入れなかったのだけれど、とある20代(当時)の女性から「このチキン野郎!」と罵られたのをきっかけに、おそるおそる水風呂に浸かってみたら……こいつがまたたまらないほどの快楽で、「ああ…この境地こそが流行りの“整う”ってやつなのか!?」と至上の恍惚へと陥り、これまでの無駄でぬるま湯なサウナタイムを猛烈に後悔した。「(なんちゃって)サウナマスター誕生」の瞬間であり、今では「サウナ」をテーマに1万ワードでも原稿を書くことができる。
こうした些細なことで全然かまわないのだ。そして、そうした「未知との遭遇」への高揚と感動は年齢を問わないすべての人たちにとって、なににも勝るガソリンとなるのではなかろうか。
小柳ルミ子とわたし
前置きが長くなってしまった。今回寄稿する「大人の社会見学」──ゴメスの初体験ルポは「ディナーショー」である。出演アーティストは、あの小柳ルミ子さんである。
念のため。もしかしたら「小柳ルミ子」という名前すら知らない可能性もあるZ世代の読者諸君のために、ルミ子さんの簡単な略歴を記しておこう。
1952年福岡県生まれ。今年7月で古希(70歳)を迎える。1970年に「夏川るみ」の芸名で宝塚歌劇団へ入団し、2ヶ月後に退団したあと、NHKの連続テレビ小説『虹』で女優としてデビュー。1971年に『わたしの城下町』で歌手デビューして、『第13回日本レコード大賞』の最優秀新人賞を受賞する。翌年1972年には『瀬戸の花嫁』で大ヒットを飛ばし、『第3回日本歌謡大賞』を受賞。天地真理や南沙織らとともに「1970年代前半を代表する女性歌手」として、その名を轟かせる。女優としての評価も高かったが、その後はポップスやミュージカルを志向し、あらゆるメディアでいまなお精力的な芸能活動をなされている。アルゼンチン代表だったメッシに魅了されて以来の熱烈なサッカーファンでもあり、年間2000試合を超える観戦を行なって書き留めたノートは100冊以上あるという。
『わたしの城下町』や『瀬戸の花嫁』がリリースされたのは、わたしが小学生の中学年のころ。宝塚歌劇団時代に培われたその高音で伸びやかな声量や、70年代アイドルが身にまとっていたぶりぶりのコスチュームの下に隠されたソリッドなプロポーションは、まだ歌唱力の優劣やアダルトな女性の魅力もロクにわかっちゃいない、あのころの純朴なゴメス少年をはじめとする昭和の小僧たちの未熟なリビドーをデリケイトに揺さぶったものであった。
そして、そんな小柳ルミ子さんの『芸能生活50周年記念X’masディナーショー~』が昨年末、東京プリンスホテルで開催されたのだ。
いささか高額すぎる?ディナーショーの“勉強料”
同ディナーショーには、とある知人から「チケットが二枚あるので行きませんか?」と招待された。
もちろん、悩むことなく「行きます!」と、二つ返事で快諾した。
前々から「ディナーショー」と銘打たれた“興行”には興味津々だったのだけれど、まずそのいささか高額すぎるお値段がやはり、ず~っとネックになっていた。
「いささか高額すぎるお値段」のほんの数例を挙げれば、2019年に開催された矢沢永吉さんのディナーショーは、なんと7万1500円! 2021年に開催された谷村新司さんが6万6000円。「ディナーショーの大御所」として名高い松田聖子さんや五木ひろしさんクラスだと5万円強……。昨年の小柳ルミ子さんもお一人様4万円! カップルで申し込むと8万円が一気に吹っ飛んでしまうわけで、よほどのディープなファンでもないかぎり、我々“いっちょうあがり”な世代にとっても、なかなかに痛い出費だったりする。
噂にしか聞いたことがない「ディナーショー」に対する、なんとなくの敷居の高さも、ついこれまで二の足を踏んでしまっていた大きな要因の一つだったのは間違いない。わたしなんぞの風来坊がのこのこと参加しても大丈夫なスポットなの? 舞い上がっちゃって、ディナーも全然ノドを通らないのでは?? 万一“玉砕”の憂き目にあっても「勉強料」として笑って済ますには、10万円前後という“投資”はあまりにリスキーすぎたのだ。
想像以上に“フルコース”だったフルコースディナー!
「招待」という稀なる幸運な機会をいただき昨年の12月25日、さっそく私はディナーショーの聖地(?)『東京プリンスホテル』へと向かった。
ディナータイムは18時から、19時30分からは別室に移ってショータイム……というタイムスケジュール──50人くらいの観客がディナーを食しつつ、せいぜい4~6ピース程度のミニバンドをバックに小さなステージに立つ出演アーティストのパフォーマンスを鑑賞し、ときにそのアーティストが客席まで降りてきて、歌いながらフランク・シナトラ調(?)にコミュニケーションをはかる……なんて風なシチュエーションを勝手に妄想していたが、どうやらそうではないようだ。「ディナーとショーは別々」というのが通常……らしい。
場内には軽く見積もっても200人以上の観客が集まっており、正装をしたレディース&ジェントルメンがすでに受付で長い列を成して並んでいた。
その脇には神田うのさん、増田恵子さん(=『ピンクレディ』のケイちゃん)、デヴィ夫人……ほか、絶妙なラインナップの“ご友人”から贈呈された巨大な花輪がずらり立てられている。
ドレスコードに関しては、取り立ててうるさいことは言われていなかった(と記憶する)が、万全を期して、わたしができうるかぎりの、2年に一度着るか着ないかのドフォーマルでキメていった。あのメジャーリーガー・大谷翔平選手がアンバサダーを務める「HUGO BOSS」のストライプが入ったダブルのスーツである。
「さすがに気合い入りすぎ?」と、最初は気恥ずかしくもあったけど、蝶ネクタイを着けたジェントルマン……どころかタキシードで完全武装したジェントルマンも数人見かけたので、まったくの杞憂であった。アカデミー賞の授賞式とかでしかお目にかかれないようなロングドレスを身に纏ったレディもチラホラ。ラグジュアリーで雅(みやび)な非日常の世界に、おのずとわたしのテンションと脈拍も高まっていく……。
指定された席に着席すると、まずはウェルカムシャンパン(※スパークリングワインではない!)で乾杯。
当然のことフリーフロー制で、シャンパンから白ワインに赤ワイン……と、グラスが空になれば、存在感を最小限にまでコントロールした練達のウェイターさんが、さりげなく注ぎ足してくださる(※計5杯おかわりしたw)。
この日のディナーメニューは以下のとおり。
- サーモントラウトと野菜のディスクとフロマージュ・ブラン / 帆立貝のマリネと彩りサラダ キャビア添え グリーンソース 華やかなお祝いとノエルのイマージュ
- 具だくさんの野菜のスープ / 東京しゃものやわらか煮込みとショートパスタ タイム風味
- 国産牛フィレ肉のゆっくりローストとフォアグラのピスタチオロール / キャロットのフォンダンと茸のフリキャッセ 赤ワインソース
- “芸能50周年記念”クリスマスを楽しむ木苺のジュレで包んだレアチーズのムース / 抹茶風味のディプロマットクリーム ソースグロゼイユ
- コーヒー
予想をはるかに上回る、一流ホテルならではの王道的なフレンチで、最後のコービーまで一分の隙もない、これだけでも(一人)2万円支払っても惜しくはないレベルの“フルコース”であった。あえての苦言を呈するなら「たった1時間半」ではなく、もうちょっとゆっくりと、この完璧なディナーを楽しみたかったのだが……まあ“主役”はこっちではないのでしょうがない?
多種多様にわたるディナーショーの客層
最高に美味しい食事とアルコールで、ようやく緊張の糸がほぐれ、多少の心の余裕も出てきたわたしの胸の内に、ある一つの好奇心が次第にくっきりと浮かび上がってくる。
「4万円を払って小柳ルミ子さんのディナーショーを観に来る人たちって、一体どんなヒトなんだろう?」
ディナータイム中、周囲を見渡してみると……たしかに、いかにも関係者っぽい“場慣れ”したヒトたちもいくらか混じってはいたものの、“特別の日”に相応しい満面の笑みで会話を弾ませる、わたしと同世代くらいの女性グループやご夫婦っぽいカップルが大半だった。
一人で静かに食事している上品な年輩のご婦人も何人かいた。おそらく何年も何十年も前からルミ子さんを応援し続けている“筋金入り”のファンなんだろう。
意外だったのは、まだ20代にしか見えない女性もけっこう多かったということ。エスコートしているのはほとんどが中高年の男性で、どの子も素人離れした美人さんばかり! 「後学のために」と、若手のタレント(の卵?)を芸能事務所のお偉いさんがお誘いした……みたいなパターンなのかもしれない。
歌にトークにダンスに…圧巻かつ涙腺崩壊の1時間30分!
19時30分から、いよいよショータイムがスタート──10分ほど前に別室へと移動する。500人は軽く収容できそうなオオバコだ。
中規模のコンサートホールくらいの広さがあるステージが暗転し、眩いばかりのスポットが当たると小柳ルミ子さんが登場!
一曲目は、客席へのご挨拶も兼ねた『お久しぶりね』。温かいファンの皆さまの拍手に早くも感極まって、思わず涙ぐんでしまうルミ子さん……。このアットホームな距離感がディナーショー特有の醍醐味なのか、とあらためて納得する。
次に歌ってくれたのが、デビュー曲の『わたしの城下町』。思わず「あのころの純朴なゴメス少年」の時代が走馬灯のごとくよぎり、ついルミ子さんの熱唱に合わせ、小声で「格子戸を くぐりぬけ~♪」と口ずさんでしまう。
随所に演出として散りばめられた得意の「ダンス」も見事なもので、『今さらジロー』『来夢来人』……など、妖艶バージョン(?)の名曲も惜しげなく披露してくださり、70歳になってもなお衰えない、その透き通るようなボイストーンと、日々のストイックな鍛錬で磨き上げられたファジカル……さらに、なによりも全身からただよう“現役感”を彷彿させるムンムンとしたフェロモンがわたしの眼をステージへと釘付けにし、その徹底した“プロ意識”が脳裏から抜け落ちていた「小柳ルミ子とわたしの歴史」の1ピース1ピースを、おぼろげだが、確実にしっくりと埋めてくれる。まるで、これまでの半生を共にすごしてきた伴侶との無自覚な想い出が、ふとした拍子で水面下から顔を現し、ゆるやかな段階を経てつながっていくかように……。
クライマックスはルミ子さんの代表曲『瀬戸の花嫁』。前方席を陣取るコアなファン(と推測される方々)が手にしているペンライトが曲の一小節ごと左右に振られ、その幻想的な光景が瀬戸内海の漁火のイメージと重なり、わたしはイノセントな……しかし、どこかノスタルジックでもある不思議な気分に浸りながら、しばらくその余韻に酔いしれる……。
さて。そろそろ今回のルポを総括しよう。結論から述べれば、約1時間半におよぶ、じつに素晴らしいステージであった。決して社交辞令ではなく、勇気を出して(?)行ってみて、本当によかったと思う。
「今度は自腹をはたいてでも、もっといろんなアーティストのディナーショーにも行ってみたい」
……とさえ思った。
ただ単にチケットを購入してから誰だかのコンサートに足を運ぶのとは、あきらかにシズル感のメモリが違う。自意識過剰なくらいまでとことんドレスアップして、最高級のディナーコースをたしなんでから鑑賞する、スペシャルな金額のスペシャルなショータイムは、“観られる側”のモチベーションをMAXにまで引き上げ、同時に我々“観る側”の感受性をもいっそう研ぎ澄ますのではなかろうか。
最後にひとこと! 「ディナーショー」は、我々のような通説として「経済的に余裕がある」とされるおじさん世代だけの“特権”では断じてない。(※ちなみに、わたしはちっとも経済的に余裕はないw!)
仮に、Z世代であるあなたの食指をぴくりとでも動かすアーティストがいたとして、そのアーティストが仮にディナーショーを開催するとしたら……懐(ふところ)的には厳しい額面ではあっても、わたしはぜひ一度、意中のヒトを誘って、果敢に「冒険」へと挑んでみることを猛然とおすすめする。
わたしのようなロートルとは比べものにならないほどのナイーブで鋭敏な感受性を持つ若いあなたにとって、その“分不相応”は、なによりも得がたい貴重な体験であり……ひいては、それが“自信”となって、あなたの成長をも促してくれるに違いない。