偉大な作曲家シューマンを夫に持つピアニスト、クララ・シューマン。シューマン亡き後に、弟子のブラームス(こちらも偉大!)とクララは果たして恋愛関係だったのか? それとも友情にすぎなかったのか? クララが現在までそんな議論を続けられていることを、私は心から気の毒に思う。
同じ女性としての身体感覚から、クララとブラームスはセックスを伴う関係ではなかったと言いたい。夫を愛していたからという乙女チックで単純な理由だけではなく。これを読めばきっと女性は、私の思いを理解できるだろう。そして男性諸氏も想像してほしい。ブラームスの立場で。
1819年 (0歳)
ライプツィヒに生まれる。
1828年 (9歳)
ピアニストとしてプロデビュー。同年、ロベルト・シューマンがクララの父フリードリヒに師事する。。
1836年 (17歳)
父にシューマンとの交際を禁止される。後に父を相手取って結婚のための裁判を起こす。
1840年 (20歳)
シューマンと結婚(クララ20歳/シューマン30歳)。リストも結婚式に参列。
1853年 (33歳)
20歳のブラームスがシューマンのもとを訪れる。
1856年 (37歳)
シューマン47歳で死去。
1877年 (48歳)
シューマン作品の全集を作り始める。
1896年 (77歳)
脳出血のため死去。
8人の子育てとピアニストを両立するワーキングマザー
音楽教育者であった父のもとに生まれたクララは、早くからピアノの才能を期待され、父から英才教育を受けた。10歳になるころにはプロピアニストとしてステージに上がる。詩人ゲーテやピアノの詩人ショパンもクララを絶賛し、18歳の時には当時オーストリアで最も栄誉ある「王室皇室内楽奏者」の称号も皇帝から与えられた。
またクララには作曲の才能もあり、ピアニストのリストもその作品を称賛していたが、当時は女性作曲家への門戸は開いておらずピアニストとしての人生を歩んだ。
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17歳の時、クララは父親のもとに弟子入りしてきたシューマンに惹かれるようになる。シューマンも恋人と別れ、クララへの気持ちを募らせる。だがクララの父はそれを許さず、徹底的に二人の恋の邪魔をした。しかし二人はどんなに反対されようともその恋を貫いた。結婚の許可をもらえなかった二人は、父親を相手に裁判までして結婚につなげたのだった。
若かりし日のロベルト・シューマン
作曲家として歩み始めたばかりのシューマンにはまだ経済的な余裕もなかったが、恋を愛に変えた二人は慎ましく暮らしはじめる。この頃クララに贈ったと言われる曲の一つに、後にリストが編曲をした「献呈」がある。リュッケルトの詩にアヴェマリアの旋律で終わる美しい曲をシューマンは生み出した。クララに恋焦がれた時代から、父親との葛藤も糧に、シューマンの作品は深みを増していた。そして夫の曲を当代切っての名ピアニストである妻がコンサートで演奏し称賛を得る。こうして夫婦としてだけでなく芸術家同士としてもお互いに高め合っていた。
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また幼い頃から日記をつける習慣のあった二人は、結婚後に日記を統合し、交換日記のようにその中で感想を書きあった。お互いの音楽活動を助け、理解しあいまた刺激を与える。睦まじい二人の間には8人の子供が次々に誕生した。ピアニストとしても各国演奏旅行に回る20代のクララ。妊娠と出産とを繰り返しながら、演奏活動もこなしていたのだ。パワーワーキングマザーである。
クララと子どもたち
一方のシューマンは、大曲を生み出し作曲家として成熟を迎えてはいたが、その経済力はなかなか思うように上がらず、次第に体調にも精神にも不調をきたしていた。二人の日記にもこの頃はもう不安な要素ばかりが羅列されるようになる。
亡き夫の弟子、ブラームスとの男女関係は?
そんな頃、シューマンの元へ若きブラームスが訪ねてきた。クララ33歳の時だ。才能豊かな作曲家の来訪にシューマンの芸術家魂は刺激され、クララを呼んでブラームスのピアノを何度も聴かせたという。シューマンはブラームスを「若き鷹」と称し、音楽雑誌で紹介した。
シューマンの理解と厚情に感謝したブラームスは、シューマンの弟子となり、精神的に不安定であったシューマンをこの後も支え続け、友情も育んだ。
シューマンと親しくなった頃のブラームス
だがシューマンはついに自殺未遂を起こす。精神錯乱、聴覚や発音にも支障をきたし、ライン川に身を投げたのだった。運良く助けられはしたが、結果、精神病院へ入院し47歳でこの世を去った。危篤の際にシューマンは最後の力を振り絞ってクララの体に腕を回したという。のちにクララは「この抱擁を生涯忘れることはないでしょう。世界のどんな宝をもってしてもこれに代えら得るものはない」と語っている。シューマンはまるで封をするようにクララを抱き寄せて逝った。
クララと残された8人の子供たちは、その後もブラームスと親交を続けたようだ。ブラームスに恋人ができたり、婚約して破棄したりする間もクララとは手紙のやり取りに加え、時々は会っていた。クララの末子が詩人になったのち、ブラームスが曲をつけたりもした。
この末子は、ブラームスの子供でなないかと言われるほど、その関係は近かったようだ。だが、これまでクララとブラームスの恋愛関係に関する確たる証拠がでてきたことはない。手紙や誰かの日記や、一片の書付さえも。
ブラームスがクララに好意を寄せていたことは、シューマン存命中にクララに宛てた手紙からも伺える。それならばブラームスは、シューマン亡き後にクララを慰め、自分がそばにいると言えばよかったのではないか。クララにしても、心細い時に支えてくれ助けてくれて、そして自分を求める男性が目の前にいたら、その要求に答えるほうが簡単だ。クララがもし、自分の感情や欲望に躊躇のない、以前このコラムで扱ったアルマ(交響曲の大家「マーラー」に学ぶ、年下妻を手懐ける難しさの記事参照)のような種類の女性だとしたら、もっと早くにブラームスとの関係を深め、また同時にそれ以外の男性の恋の話も残っていただろう。
しかしクララはそうはしなかった。私は女性の視点からそう思う。クララは真面目できちんとした女性だ。彼女の作った作品はそのどれもが高潔でエロスを感じない。音楽に対して生真面目な部分があり、シューマンの作った楽曲について、シューマン自身に「楽譜のテンポを守って」と指示を出すくらいに。
高潔で自分に厳しい女性は頭できちんと考える。もしこのまま他の男性と関係を持った先に、自分に何が起こるだろうかと。クララは知っていた。自分に好意を持つ相手との一時的な肉体の快楽とある種の精神的な高揚がいつまでも続く幸福でないことを。そしてセックスが妊娠と出産、その先の子育てに続く行為であると実感として知っているクララにとってみれば、精神的な信頼関係を壊す不安さえある関係に、踏み出すのを躊躇したとしても不思議ではない。
男性諸君にぜひ振り返って考えてみてほしい。一度ベッドを共にした相手を、さも自分のもののように馴れ馴れしく距離を詰めたことはないか。体の関係があっただけで、ある意味何も心が通っていないかもしれない相手を、全部わかったように扱ったことはないか。そしてその相手に対し誠実さを失ったことはないかと。私たち女は知っている。相手が自分に求める目は少しづつ色を失い、関係は変わってしまう。そして情熱は急速に冷めてしまうのだと。
クララにとってブラームスは親密な関係になりたいと思いさえあれば、そのハードルは高くない。夫はすでに亡くなっており、子供たちも懐いている関係だ。だがクララはそうしなかっただろう。シューマンの曲を演奏し続け、後世に亡き夫の偉大さを伝えた。愛された記憶を生涯忘れずに、自分が愛した男性の記憶を繋ぎ止めたクララを私は誰よりも強い女だと思う。ブラームスとクララが恋愛関係にあったという確証を持てるものが、今現在に伝わっていないのは、二人にそんな関係が「なかった」からだ。
実直で飾り立てない強い女、クララ
男性と女性が親しく良好な関係を長年続けていく場合の「そこにセックスがないから」というオプションを、私はこの二人の関係に当てはめたい。
男性を翻弄したわけでも、自分に甘かったわけでもない。自分にも厳しいクララは自分の意思とそれまでの人生に「Ja(ドイツ語でYes)」を言うために、ブラームスと寝るわけにはいかないのだ。
自分の人生を肯定できるのは自分だけだ。実の父親と裁判までして勝ち取った結婚、8人の子供を設け、自分の芸術活動との折り合いに悩み続けながらも歯を食いしばって演奏し続けていた時間、それら全てを否定しないためには、自分の過去を愛するしかない。
シューマンの楽曲は、その全てが自分の人生に重なる。結婚に際して送られた曲も、二人で主題を送り合って共作しあったことも、混沌とする生活の中で自分の傍で生まれてきたシューマンの数々の楽曲も。それら全てがクララ自身なのだ。
死んでしまった男の記憶をその楽曲を演奏してアップデートし続ける、強い意思のある高潔な女を抱ける男はいない。たとえそれが、どれだけ優れた世紀の作曲家であったとしても。
シューマンが結婚に際してクララに送った優しい歌曲「献呈」をあのフランツ・リストが煌びやかに編曲をした。だがクララはこう言った。「作曲家の思いを無にする技巧的な装飾なんて要らない」と。
実直で飾り立てない強い女、クララ。もうブラームスと寝たかどうかを考えるのはやめにしてほしいと、一人の女として私は思う。きっとクララはどちらも愛していたし、どちらも大事だっただろう。そこにセックスがあろうとなかろうと。違う種類の愛情を二人の作曲家に抱いていただけだ。クララのそんな潔さを、私は一人の女として眩しく思う。そして同時に、才能ある二人に愛されたクララを、心から、羨ましく思うのだ。
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