外からの力が作用しなければ、物体は静止、または等速度運動を続けるという「慣性の法則」をなぞり、「こばかなの無駄話から生まれる“感性”の法則」と題した連載。こばかなさんと無駄話をして、日々の生活で静止しがちな思考を動かし始めよう。第19回目は、言語化のお話し。
ふわふわとした事象を言語化する
最近あらためて、言葉にすること=言語化の重要性をよく考えます。コーチングカンパニーのTHE COACH代表として経営に携わっていると、“経営とは事業課題を解決することの連続”だと常々思うんです。そして課題解決のためには、何となく分かってはいるけれども上手く言葉にできないふわふわとした事象を捉える必要があります。
売上が前月と比べて5%落ちてるといった、数字で理解できる状況は分かりやすい。でも、人間が集まっている会社という集団には数字だけで捉え切れない“ふわふわとした事象”がたくさん漂っていて、それは意図的に言語化しないと見えてきません。
例えば、会社で働いているAさん、Bさん、Cさんの3人に最近何となく元気がないと感じたとします。もしかしたらその状況を放置しておくと問題が発生する可能性があるのに、解決されないままフラストレーションだけが溜まっていく……みたいなことが起こるかもしれません。
そこで、Aさん、Bさん、Cさんの3人に元気がないという具体的な事象から、“最近会社に元気がない”と抽象化して捉えてみる。すると事業課題が言葉として設定され、対処法を考えられるようになります。このように、一つひとつの物事を俯瞰して、そこから抽象度を上げて現実に起こっていることを言語化することは、経営の上で非常に重要だなと思っているんです。
言語化と“伝わる”ことの違いについて
そもそも私自身、言語化することが好きだし、得意だねと言っていただくこともあります。私がXで投稿する上での基本的な考えとして、“めちゃくちゃ当たり前のことでも、言語化することで人は気づきを得られるものだ”ということがあって。
この間、「幸福感のためには、人と比較したりSNSコンテンツに触れるより、自然に触れてよく寝よう」みたいな内容の投稿をしたんです。誰もが1万回くらい聞いたと思われるくらい当たり前の話だと思うんですが、それでも意外と注目されました。これって、自分がすでに知っていることでも、他人に言ってもらうことで潜在意識が顕在化されるということなんだろうなと思っていて。
みんなでキャンプに行って、「家の中で食べるより、外で食べるとめっちゃ美味しいね!」と言い合いながら食べる方が、雰囲気も盛り上がることってありますよね。内容自体はめちゃくちゃ当たり前のことなんだけど、その場にいる全員が共通で体験していることを、あえて言語化することでより噛み締められる、という現象があると思います。
あえて言葉にすることで、現実を確かめ合えたり、みんなの結束をより高められる。これをビジネス的に横展開すると、今自分たちが取り組んでいる事業の意味やミッションを分かっているだろうけど常に発信していくことが大事、ということになります。
ただ、言語化とコミュニケーションの関係において注意しなくてはいけないのは、言葉にした内容の100%が相手に理解できるわけではない、ということです。この点で私が大切にしているモデルは、「私が語ったことは、私と相手の間に漂うだけ」ということなんです。
私は場に自分の言葉を投げるだけ。そしてその発言なりコンテンツなりツイートなりを介して、Aさんは私の考えを捉えるわけです。そう考えると、結局のところ私の言葉をどう解釈するのかはAさん次第ですよね。
だから自分が伝えたい内容のうち、10%でもいいからAさんに届けばいい。そのために、私はできる限り自分の伝えたい内容を噛み砕いてわかりやすく表現しています。自分の考えを100%綺麗に言語化できたとしても、100%が相手に伝わるわけではない。言語化とコミュニケーションの関係については、このことをよく理解しておくことが大事だと思います。
言語化の思わぬ落とし穴に気をつけて
話は少し変わりますが、自分が書いていてバズりそうだなと思うnoteがあります。なぜそう思うかといえば、そこには抽象度が高い上に、みんながまだ発見していないような内容が書かれているから。「すでに誰かが気づいていることをあえて言葉にする」ことも大事なんですが、「みんなが無意識で認知しているけど、まだしっかりと気づいていないし言葉にもしていない」ということを見つけると、インパクトが大きくなると思います。
これは私の発明ではないですが、漫画『ブルーピリオド』で描かれる「渋谷の朝は青い」という見方は秀逸ですよね。今まで誰もそのことを言葉にしたことはなかったけど、たしかに言われたら分かるし、渋谷を青いと捉えるって美しい。これまで見えていなかった世界を示すことは、言語化によってなされる達成のひとつだと思います。
あとは、言葉にすることで安心するということもあります。よく分からないけど怖かった現象が、お化けや妖怪という言葉を発明することで怖さが軽減する、とか。前回の話にもつなげると、診断系コンテンツで自分のことを言語化することで、安心につながるということもあるでしょう。
一方、言語化には効能もあるけれど、ある種の枠組みにハメてしまう危険性もあります。
例えば「結婚」という言葉について。結婚するという言葉の意味合いでいえば、実質は書類に印鑑を押すことです。でもこのワードには様々なイメージがパッケージングされている。「結婚」には幸せな家庭を過ごすような雰囲気があって、人によってはそこに子どもを生むことが含まれていたりする。あるいは、「結婚」という言葉のイメージが夫婦間によって違ったりすると、結婚したのに旦那が家事をしないとか、自分の当たり前の「結婚」をお互いに押し付け合う。
このように、言葉は人の行動が引っ張られるくらいの強さを持つことがあります。会社の経営においても、「Aさんのパフォーマンスが落ちているよね」といったことをうっかり言ってしまうと、本当はそう思ってなかった人もそう思うようになってしまったりする。
ものの見方が言葉によって固定化されてしまうので、それによって思考停止に陥ってしまうんです。たしかに現状を理解するためには、“ふわふわとした事象”を言葉によって固めて眺める必要がある。でもそれと同時に、“やっぱり違った”と思い直して、もう一回ふわふわの状態に戻すことも大事です。その作業を繰り返すことで、現実の認識が上がっていって、言語化の精度も上がると思います。
言語化が苦手な人が取るべきアプローチとは?
最後に、言語化があまり得意ではない人へのアドバイスを考えてみたいと思います。言語化には色々なパターンがありますが、基本的に言語化するということは、「空が青いですね」というように、目の前の現象を言葉に置き換えるということです。これがもっとも一般的な言語化で、おそらく誰でも困難なくできると思います。
そのほかに、言語化には“抽象度を上げて捉える”ということがあると思います。「空が青い」を抽象化して「今月はずっと晴れですね」とか。私の感覚的にこちらが苦手な人は多い気がします。でもこのくらいの粒度からであれば、比較的誰でもやりやすいのではないでしょうか。
もうひとつの言語化に、“感情の言語化”があると思っています。ただし、これが一番難易度が高いです。なぜなら、感情は目に見えない上、分かっているのは私だけなので、“あるある”を共有しづらいから。感情は自分がそこに意識を向けないと、たどり着けないものでもあります。呼吸するように日記を書く人だったら感情を言葉にすることが習慣化されているかもしれませんが、感情はときに複雑。ふたつ同時に異なる感情を持つことすらあります。
また、感情の言語化は「この気持ちを表現する言葉がない!」というジャンルでもあります。映画の感想とかを言葉にすると、急にチープになるときってありますよね。言葉にできないものもあります。だから「それはそれとして、置いとく」という選択肢もありだと思います。
ここまで日本人なら誰でも使える方法ということで言語について話していますが、ほかに、言語じゃないアウトプットもあります。代替手段としては、アートや写真、イメージボードなど。私は図解が大好きで、図の方が言語よりも表現の幅が広いと思っています。最近も、「タスクの質と量」という図解をしたりしました。
言語化がうまくなるためには、とにかく当たり前のことを言葉に変換するトレーニングの繰り返しが必要な気がします。今日のタスクを書き出すとか、今日のタスクを振り返って言葉に置き換える……といった基本的なところからトライしてみると良いかもしれません。そして発展形として、みんながやっているタスクを言語化するとか、会社の方針を言語化する、のように広げていけば良いと思います。
言語化を上達したいということであれば、感情よりもまずは個別具体の事象から始めていくのが簡単です。そこから試してみてはいかがでしょうか。