ビジネス、カルチャー、ジェンダー、アートと、さまざまなジャンルで活躍する、若手とベテランにお越しいただき、たっぷりと語っていただく対談特集「ユースと先輩」。アートシーンからご登場いただくのは、気鋭の若手作家・大澤巴瑠さんだ。対談相手として名が挙がったのは、大学院時代の先生だった大庭大介さん。先生と教え子という関係から、現在はアーティスト同士という間柄になり、一旦どんなことが語られるのか。特集「ユースと先輩」、アートの回をお送りします。
大庭大介┃おおば・だいすけ
1981年、静岡県生まれ。画家。京都芸術大学大学院特任准教授。京都造形芸術大学美術・工芸学科洋画コース(総合造形)を卒業後、東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻油画研究分野修了。「関係、偶然性、光、次元、行為」を手がかりに、東洋と西欧の絵画の歴史的手法を横断することにより絵画史を再考する。自作の描画道具と光により色彩が変化する偏光顔料やホログラム顔料、隕石から抽出した絵具、古代の顔料など、特殊なマテリアルや独自な方法論を用い、多彩なシリーズ・作品群を展開し、国内外で活躍する。
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DAISUKE OHBA
Instagram:
@daisukeohba
大澤巴瑠┃おおさわ・はる
1997年、東京都生まれ。画家。多摩美術大学美術学部油画科を卒業後、京都芸術大学大学院芸術研究科美術工芸領域油画科修了。コピー機を用いてデジタルの複製をアナログで複製し、「複製」という行為が生み出すズレを通して「不可能性」や「不完全性」を作品に仮託、可視化した作品を展開する。「ARTISTS' FAIR KYOTO2023」や「アートフェア東京2023」への出展や、東京国立博物館創立150年を記念した初のバーチャル展示「エウレカトーハク!◉89」へも参加、国宝『古今和歌集(元永本)』とコラボレーションしたNFT作品を手がけた。2023年の個展『光』(GALLERY ROOM・A)では、『onomatopoeia』シリーズに加え、草書をモチーフに展開した新たなシリーズ『消失と誘発』を発表した。
Instagram:
@oswhr
クリスチャン·ディオールのアイコンバッグを再解釈する「DIOR LADY ART #6」や、GINZA SIX「House of Dior Ginza」のエントランスの壁画など、絵画の枠を超え国内外で活躍する画家の大庭大介さんは、2013年から京都芸術大学大学院で教鞭をとっている。
その大庭さんのゼミ生だった画家の大澤巴瑠さんは、在学中から学外で数多くの展示を行い、修了後も精力的に作品を発表する気鋭の若手作家だ。今回の対談は大澤さんが作家仲間と京都市内に立ち上げたスタジオ「shu」へ、大庭さんを招いて行われた。
思いがけない作品が
美術作家としての未来へつながって
現在の大澤さんの活躍からは想像もできないが、本人いわく、「振り返ると学部生のころは、最低限、留年しないくらいのペースでしか大学に行ってなかった」そう。
「『美大に合格すること』が目標で、入学してからやりたいことを明確にできないままだったし、『頑張っていれば、いつか美術作家になれるよ』みたいな、ざっくりとしたアドバイスでは作家のなり方もわからない。就活もせず中途半端だった」と話してくれた。
大庭:大澤は、大学院にいた2年間、本当にずっと校内で制作していた記憶がある。大学の学部生時代の作品がなぜこんなに少なかったのか不思議なくらい、よく頑張って描いていたと思うよ。
大澤:ありがとうございます。地元の東京を離れて京都の大学院に入ったし、たった2年しかないから、毎日行っていました。大庭さんをはじめ多くの先生方から、作家としてどうやって生きていくか、現実的で具体的な方法を学ぶ時間でもありましたね。
大庭:自分が学生のころは、「プロのアーティストとしてサバイブする方法は自分で考えて」という教育が主流だったけれど、幸いにも僕は具体的に教えてくれる先生や先輩に恵まれた。だから大学院で教える立場になった今は、自分が知っていることは偏りなく、学生に伝えたいと思ってやっている。
でも、大澤も学部生時代の作品は相当ロックだったよね。はじめて観たこの作品も、一見すると、抽象絵画だけど、びっくりするような言葉が隠れているし。
大澤:はい。実は「死ね」っていう言葉を、AdobeのIllustratorで上下に圧縮して、平らに変形させたものを羅列して描いています。ただ単に「死ね」って描くと、言葉に意味と手足が生まれてしまうけれど、変形させて繰り返し描き続けていたら、なんだか写経のような、感情を落ち着かせる行為になっていました。
しかも、完成した作品をスマホのカメラで撮影したら、偶然にも「死ね」って言葉が浮かんできたんです。当時はiPhone6くらいで、今より画素数も解像度も低かったから、モアレ現象が起きたのです。
面白いと思ったものの、その後は卒業するまでこの表現から動けなくなってしまって……。大学院で京都に来たことは、作品が変わるきっかけにもなりました。
大庭:僕が最初にこの作品を観て面白い、と思った理由は、カメラの性能がどんどん向上していくなかで、この瞬間にしかない機械や技術に反応して生まれた作品だったことと、一見、かっこいい抽象絵画だけど、そこには「死ね」っていうネットに溢れる言葉が隠れていて、ある種、時代を切り取っている作品、と言えるから。
でも、今iPhone6を使っている人ってほとんどいないから、もはや確認できなくなりつつあるし、未来の人がここに隠された言葉を見つけることができるのか、って考えたら……面白いよね。おそらく作品説明のテキストがなかったら、何が描かれているかわからないだろうし。いわば『ダ·ヴィンチ·コード』ならぬ『オオサワ·コード』だね(笑)。
大澤:(笑)。この作品を描いた当時、初めて実家を離れて、付き合っていた彼と同棲したんです。それまでいた家族のコミュニティから抜けて、まったくの別のコミュニティで生きてきた人とひとつの屋根の下で暮らし、コミュニケーションの難しさを実感しました。自分では言ったつもりなのに相手には伝わってないとか、気持ちのすれ違いとかが気になって、「これって私だけ?」とずっと思っていて。
でも、村上春樹さんの著書『スプートニクの恋人』の一節に、「理解というものは、つねに誤解の総体に過ぎない」っていう言葉を見つけたとき、誤解しつつも理解に繋がるなら、コミュニケーションのバグだと私が感じていることもひとつの理解に繋がっているのかな、と気づきました。
そこから、いろんな「バグ」や「不完全なもの・不確かなもの」が、自分の創作のテーマや動機になっていったと思います。
どんな日もとりあえず大学に。
たった2年で変わったこと
2022年春に大学院を修了した大澤さんは、コロナ禍の中で大学院生活をスタートした世代だ。
「学部の4年間で何もしていない人間が、2年で何とかできるとも思っていなかったです。でも何もないからこそ京都に来られたし、コロナ禍が始まってしまったからこそハングリー精神に火がついた」と振り返る。
誰にとっても普通ではなかった2年で、大きく変われた理由はどこにあったのだろう。
大澤:苦しいなかでも何とかして、学部の頃の作品から動こうと模索していたとき、現在も続けているコピー機の手法に取り組んで、先生方から「もっと深くやってみたら?」と助言をいただきました。少しずつ作品を評価いただくことが増え、この先も作家としてやっていく決心がついたのは、大学院を修了する間際ぐらいでした。
やっと「楽しい」って思えるようになっていたことに気づいたんです。作品についていろいろと苦悩することも、やっとの思いで制作していることも、すべてひっくるめて、なんかこう、自分が楽しめていることに気づいて、これでご飯食べていけたらいいな、と。修了して1年が経ちましたが、今のところいい感じです。
大庭:大学院を出た後に作家としてやってくのか、これは人それぞれだけれど、大澤は2年間で本当に変わった。1年目と2年目で、制作に向かう姿勢や態度、目の色も違っていたよ。作風も見違えたし。それほどまでに変われたのはどうして?
大澤:そうですね……あまり自覚してはいなかったのですが、振り返ってみるとたぶん、大学院の同期の子たちに思いっきり刺激を受けていたんだと思います。ジェラシーや憧れ、尊敬する気持ちとも少し違いますが、同期と一緒にいて、ただぼーっと覚悟を決めて京都に来た、だけじゃダメだな、負けてらんないぞ、と。
それに、今も作品を展示している子たちって、思い出すとやっぱりみんな、お盆とお正月と受験で大学に入れない日以外、いつもアトリエにいましたね。今スイッチ入らないんだよなって思っても、とりあえずアトリエに行って描く準備だけはしておく、みたいに。とにかく徹底的に、絵を描く環境に自分を習慣化させていました。ちょっとやる気が出なくてだらだらしているだけって日もあれば、そのうちやる気が出てきたりもして。
大庭:なるほどなぁ。しかも大澤は、自分の中にちゃんと理由があって作品を更新し続けているよね。それって簡単にできそうでけっこう難しいし、自分の中に表現したいテーマを持っていることが伝わってくるよ。
それに、大澤のパワーやエネルギーそのものが作品となって、ここに並んでいるってことだから、スタジオの空間そのものにやっぱり良い“気”が充満していて、僕も刺激をもらえる。
大学で教えていて面白いは、大澤のように学生たちの心に火がついて、大きく変わっていく瞬間に立ち会えることなんだよね。だから大澤だけに限らず、 自分が関わった学生には、自分のなりたい大人像や、将来の夢を何かしら叶えてほしい。別にそれが美術作家でなくても良いし、幸せであってほしいなって思うよ。
歴史に残り得る
“普遍的な映え”の表現とは
SNSや画像検索が主流の現代において美術作家として作品を発表するなか、切っても切れないのが「写真映え」だろう。
大澤さんは冷静に、「同世代で人気のある作家を見ていると、コンセプトが面白いとか、いろんな魅力のひとつに、いかに“写真映え”するか、があると思う」と分析。大庭さんも、「この時代に作家として残っていく、歴史になっていくには、批評や美術史における評価はもちろんのこと、作品の視覚的な強さの両方が必要だろう」と答えた。
大澤:私の作品はそれほど映えるものではないですが、スマホでなんでも写真を撮る時代だからこそ、肉眼で直接見たときの体験には絶対かなわない印象を残したいと思っています。
作品に銀箔を使っている理由はいくつかありますが、作品の前に立つと自分が映り込むことや、黒の周りにカラーをわずかに入れているところも、画像ではあまり伝わらないんです。インスタの時代っていうのはわかっていますが、肉眼で観るから伝わるもの、美しく見えるものとして、ちょっと対抗したいな、と。
大庭:他方で、1000年とか2000年とか、1万年前の遺跡やピラミッドだって、今スマホで撮っても最高に映えるよね。日常の中にも、川の水面のきらめきとか、桜とか、秋の落ち葉とか、普遍的な美しさはあふれているし、真っ暗な夜の海のど真ん中で船上から星空を見たときは、本当に圧倒的に美しかった。
じゃあ、自分の作品がその美の世界まで到達できるのか、っていうと考えさせられるけれど、「瞬間的に映えて消えるもの」と、「普遍的に映えて残っていくもの」、作品を作っていくなら個人的には、“普遍的な映え”を目指したいよね。
大澤:大庭さんも、そういった“普遍的な映え”を意識して作品に取り組むようになったきっかけがあったんですか。
大庭:思えば学生時代はまだ流行りを追っかけていて、自分が本当に表現、追求したいことを自覚してなかった。ただ、大学院修了間際で、「自分ができる最強の表現、生涯続けていけるテーマ」とは何なのか、ものすごく悩んでいた時期にふと思い出したのが、高校生のときにパリのルーブル美術館で、ジャック=ルイ・ダヴィッドの『皇帝ナポレオン一世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠式』(※)を観て、涙が出そうなほど心が震える体験をしたんだ。
当時、ダヴィッドが何者なのかも、何を描いているのかもよく分かっていない、異国の絵画なのに、ものすごく感動して。
それまでは、どうしたら作家になれるのか、サバイブしていけるか、ってことばかりを考えていたけれど、自分の今世にテーマがあるとしたら、こんな風に「人の心の琴線に触れるもの」を作り続けたい、と気づいたこの頃から作品の根幹となる主題が大きく変わっていったと思います。
大澤:そうだったんですね。私はクロード・モネの作品を箱根の美術館で観たときですね。実は印象派の作品って、正直、嫌いだったんです。なんだか古臭いというか、洗練されていないなぁというイメージで(笑)。
大庭:わかる。すごくわかる(笑)。僕が絵を始めた高校生のときも印象派はダサいと先入観で思っていた、当時はね。
大澤:そうなんです、当時は。でも実物を観たとき、肉眼だから気づける美しさに驚きました。至近距離ではすごく濁っているような色合いなのに、離れて眺めると綺麗。食わず嫌いしていただけでした。
大庭:人が何かを見て「美しい、心に刺さる」と感じるのは、経験に由来しない生まれながらに持つ認識と、その人が生きる時代や環境であったりと、いろんな要因から形成されていくんだろうね。
ところで大澤は、修了後も京都で制作を続けているけれど、京都という土地から影響を受けていることって、何か思い当たる?
大澤:京都で生活し始めてから、何となく京都っぽいと思い、座禅と写経、山登りを初めてやってみました。京都が好きな日本人って多いですが、理由を言語化しづらいですよね。でも、苔を美しいと思うのは日本人特有の感性だし、石畳の道や枯山水も、日本人の美意識ですよね。京都で暮らすうち、日本人が京都を好きな理由が何となく分かってきました。それが自分の作品に活きているか、自覚はないんですが。
大庭:でも、最近手がけているシリーズは草書でしょ? 書をモチーフにしたシリーズを始めたのは、感覚的に京都から文化的影響を受けているのかも。琳派の要素も感じるし、日本人特有の美的感覚が表現されてもいると思う。しかも、とてもカッコいい。
僕が京都の芸大へ進学したのは、ある意味自覚的な選択だった。当初は東京の芸大・美大に進学するつもりでいたけれど、なぜこんなに自分は東京にこだわるのか、ふと疑問に思ったのと、そもそも日本で生まれたのに、日本の歴史や文化を何も知らない、と気づいたことも大きい。
京都って、碁盤の目のように整えられた街そのものが結界を張っているようだし、アメリカのチェーン店やコンビニがある風景の近くに、金閣寺や古いお寺が存在しているって、どこか異様でもあり、独特の魅力がある。京都で創作活動を続ける作家としても、大澤の今後の進化か楽しみです。
毎日が夏休みのような仕事のような
アーティストの日常は続く
大庭さんは1981年生まれの「Y世代」、大澤さんは1997年生まれの「Z世代」だが、実はお2人とも、普段、自分の世代や、ほかの世代との相違点を意識することはほとんどないそう。
作品や作家としてのテーマ性を、国内外から評価され続けるシビアなアートの世界。周囲と比べること以上に、自分自身との戦いである創作活動に、お2人はどんなモチベーションで取り組んでいるのだろうか。
大澤:本当にシンプルに、描いていた作品が完成して壁にスペースが空いたから、また次の作品を描く、っていう感覚しかなくて。そもそもあんまり、仕事をしている、労働している、みたいな感覚で描いていませんね。
大澤:毎日が夏休み、といえば夏休みですし、仕事と言えば仕事のようでもあるし。請求書の処理や確定申告をしているときに、「あ、そっか、これは仕事だ」って意識するくらいで(笑)。定時に出社して、時間になったら帰る、というわけでもないですし、描いていて楽しくてしょうがないです。
大庭:たしかに。ひたすらその連続だよね。あとやっぱり、誰も観たことのないものを作りたいでしょ。でもそれってすごく難しい。だから、ただただ、ひたすらそれを追いかけている感じがする。それ以外のことはすべてが雑音っていうか。
大澤:はい。労働している感覚がないのは、好きなことを仕事にしているからだと思います。たまに美味しいものを食べても、どこかに出かけても、すべてが絵を描くという好きなことの延長線上にあるから、インプットになっていますし。
大庭:僕もアートや制作のことが頭のどこかにずっとあって、日々勉強し続けているし、そのなかから新しい理論を構築することには、他者からは見えない膨大な時間がかかる。
その勉強というのも、意味が広いし、例えば、美味しいフランス料理や、お寿司を食べに行ったりしても、食材の持つ特別なストーリーや料理技術の文脈、お皿と料理の関係、空間との関係性を考えたり、スタッフはパフォーマーみたいだし、一般的には無駄とされ見逃されているような事物のなかには偉大なヒントがたくさん隠されている。
もう、世の中のすべてのものが学びの場だよね。そして、日常の景色のすべてから作品が生まれてくるような、上から降りてくるとしか言いようがない感覚で絵に自分が動かされているような節がある。
大澤:はい、すごく理解できます。
大庭:大澤も僕も、物心ついたときから好きで絵を描いていて、美術の学校に進んで、作家になった。作品を描いていない時間の方が不自然なくらいっていうか、何かを「つくる」ことが、もう生活の一部みたいな感覚があるからだろうなぁ。ちなみに大澤は、今後どうなりたい?
大澤:いろんなところでよく言っていますが、私は、「この場所といえば、大澤巴瑠!」みたいな、地元に銅像が立つくらいの超有名人になりたいです(笑)。
大庭:いいね。僕は作家であるとともに教育に携わる身として、作家として生き続ける学生が増えれば増えるほど、その相乗効果から表現の質が高まり、健全な批評能力が培われ、アートの土壌が豊かな場になるって考えている。シンプルに言えば本当に面白いアートがこの日本に生まれてくるのはここからなんじゃないかな。
ブームやバブルをきっかけに今までアートに関心がなかった人たちが、こうやって作家たち目を向けてくれることもうれしいけど、作品の表層の下に広がる広大な宇宙とでも言うべき未開領域について、作家自身が主体的にアートに携わるすべての人々と一緒に考えていくことがこれからの使命だって考えている。
そして、深度や逸脱込みでアートを楽しんでくれる人たちが日本でこれから増え続けていったら、きっと人間、社会、そして世界全体の希望に繋がるんじゃないかな。
※ジャック=ルイ·ダヴィッド 『皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠式』:ジャック=ルイ·ダヴィッド(1748~1825)はフランスの画家。新古典主義の創始者で指導者。ルイ16世の宮廷画家を経て、ナポレオン1世の台頭とともにその寵愛を受け、皇帝の首席画家となる。《皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠式》は、皇帝となったナポレオン1世の注文によって1805~07年に制作された、縦6.2メール、横9.7メートルを超える油彩画。200名近い人物が緻密に描かれ、その出来栄えにナポレオンは大満足だったと伝えられている。
大庭大介展覧会情報
グループ展「constellation #03」
出展作家:大竹伸朗、大庭大介、鬼頭健吾、桑田卓郎、小林健太、小林正人、鈴木ヒラク、滝沢広、玉山拓郎、中西怜、名和晃平、水戸部七絵、南依岐、宮崎啓太、村田峰紀、森山大道、横田大輔、THE COPY TRAVELERS、 Houxo Que
会期:2023年8月27日(日)〜2023年10月22日(日)
会場:rin art association/群馬県高崎市岩押町5-24
開廊時間:11:00-19:00 休廊日:月曜日・火曜日
HP:constellation #03
・2023年秋開業の、虎ノ門ヒルズステーションタワーでは巨大な絵画作品がパブリックコレクションされる。
大澤巴瑠展覧会情報
グループ展「Reflection & Repetition
出展作家:鬼頭健吾、大澤巴瑠、三浦光雅
会期:2023年9月2日(土)~10月21日(土)12:00-18:00 ※月・日曜、祝日休廊
会場:Tokyo International Gallery/東京都品川区東品川1-32-8 TERRADA ART COMPLEXⅡ 2F
HP:Reflection & Repetition
Photo:吉岡教雄
Edit:山田卓立