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進学の多様性でBeyondせよ!

(ほぼ)塾に行かずに子どもを海外留学させた

author: 村上 琢太date: 2022/06/11

より良い子どもの人生のために、よりいい大学に通わせ、いい会社に就職させたいというのが親心。そのために、少しでもレベルの高い幼稚園に……となっている昨今、子を持つ身になると出遅れてはならない気分になる。でも、そもそもいい大学、いい会社ってなんだろうか? それが何を人生に保証してくれるのだろう? 我が家ではそういった日本の競争社会に留まらせるのではなく、本人たちの意思を尊重することで、あえて海外に子どもたちを送り出してみた。

オーストラリアに行った姉、台湾に進学する弟

21年前に最初の子どもが生まれた頃には、2Kのアパートに住んでいた。雑誌編集長とはいえ、しがない中小企業のサラリーマンだったし、教育に大きなお金をかけられるとは思えなかったし、事実、高校卒業まではほとんどお金をかけなかった。

今、ウチの娘は21歳。メルボルン大学のデザイン学部建築学科の2年生だ。日本で名前を聞く機会は多くないが、同校は多くの世界大学ランキングで40位以内に入る世界有数の大学。少し複雑だが、オーストラリアは高校が4年制なので、娘は日本の大学の3年生に相当する。その中でも成績は優秀なようで、しばしば次の学年の課題の手本に選ばれたりしている。大量に課される課題を日々こなすためにCADや、Photoshop、Illustratorなどを自在に操るようになり、建築家を目指して勉強している。TOEICは945点。

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 娘はメルボルン大学のデザイン学部建築学科2年生。コロナ禍の一時期は帰国を余儀なくされ、日本からオンラインでメルボルン大学の授業に出ていた

息子は18歳。24時間以内に高度10000m分の坂道を自転車で上がる『エベレスティング10K』を日本で38番目に達成するという体力と、ボーイスカウトの最上位の富士章を取るために、マッチ・ライター、燃料、テント、トイレのない冬の山で3日間のソロキャンプを行うというサバイバル能力を併せ持っている。子どもの頃からテクノロジーに興味があり、小学校2年生でハンダ付けが出来るようになり、4年生頃にはArduinoやUnityで遊ぶようになる。コンピュータ、人工知能を学ぶために台湾に進学したいと言い、1年前から中国語を勉強し始め、今年の秋から台中の東海(ホンハイ)大学に進学する予定。

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底知れぬ体力を持つ息子。エベレスティング10Kでは24時間で9500kcalを消費したという

つまり、幸いにもそれぞれに奔放に育ち、努力し、多彩な経験をして、いろいろな能力を獲得しつつある。おかげで友人や、学校の保護者仲間の方々から「どうやったら、そんな風に育つの?」と聞かれることが多い。最近は子どもを海外留学させたいと思っている方が多いが、肝心のお子さんたちが、海外に行きたがらないのだという。

何も特別なことはしてない。2人とも小学校から高校まで、家の近所のごく当たり前の公立校に通った。有名私立や特別な幼稚園に通ったわけでもない。それどころか塾もほとんど行っていない。

7〜8年前のふたり。筆者の仕事柄、MacやiPadには触れやすい環境にあった。

つまり、正直言うと、「どうやったら、こうなるのか?」は私にも分からない(笑)とはいえ、心がけていたことはいくつかあるし、どういう過程で留学することになったかもご説明はできるので、今回はそんなお話を書いてみよう。

日本以外でも働ける能力を身に着けて!

上の娘と海外留学について話し始めたのは、中学3年生ぐらいの頃だった。

娘は幼い頃から勉強はできる方だった。ただし、天才肌ではなく、ひたすら努力で達成するタイプだった。塾には行っていなかったが、学校の勉強はきっちりやる。彼女に言わせれば、「授業をキチンと集中して聞いて、宿題をしていれば成績は取れる」とのこと。授業のノートは自分なりに非常に詳しく取っていたし、教科書も書きこみでいっぱいだった。

そして、高校進学が迫る頃、将来の進路について相談されたので私は持論を話した。

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娘は現在東京から約8000km離れたメルボルンでひとりで暮らす。文化豊かな土地柄で、治安は良いので安心だ

「長い目で見ようとしても、20年、30年の未来を見通すのは難しい。僕が30年前に就職活動をした時は、みんな銀行や証券会社、ソニーや、サンヨーといった大会社に入れば一生安泰だと思っていた。なにしろ、時価総額の世界ランキング上位を日本企業が席巻していた時代だ。でも、山一証券は倒産し、ソニーやサンヨーも経営危機に陥ったり、リストラせざるを得なかったりしている。30年前には想像もしなかったことだ」

「つまり、今、景気が良いように見える会社に入っても将来は保証されない。今はGAFAやIT系の会社が世界に君臨しているように見えるが30年後に世界の頂点に君臨しているのは、また別の会社だろう」

「高度経済成長の時代は遠く昔に終わり、今後日本は凋落する可能性がある。日本でしか働けなかったら、日本と一緒に凋落していくしかない。日本を出ても収入を得る能力があれば、好きな国に行ける」

「AI翻訳は進化するだろうけど、直接コミュニケーションが取れるに越したことはない。他言語は重要。コンピュータも今よりさらに重要になる。プログラミングの自動化は進んでいくだろうが、プログラミングを理解していなければフレームワークを構築できない」

というようなことを語ったはずだ。

ヒエラルキーの外へ飛び出そう!

妻は地方出身なので、実家は有名大学や、大企業への進学を望む風潮は強かった。甥っ子、姪っ子たちもみんな優秀で、多くが東大をはじめとした国立大学に進んでいる。ウチの娘にしてみると、彼女たちと比べられるのがイヤだったようだ。義父は各校の偏差値をそらんじて、娘に「どこに行くんや?」と聞いたりしたから、なおのことそこから逃れたかったようだ。

ヒエラルキーの外に出たい。それが彼女のモチベーションだった。

娘が通うメルボルン大学の校内にて。160年以上の歴史を持ち、医学や工学をはじめ数多くの分野で世界トップクラスに位置し、17人のノーベル賞受賞者を輩出している。

しかし、身近に海外留学を経験した人もいない。留学するといっても、どうしたらいいか分からない。

ネットで検索して「海外留学セミナー」などに行ってみると、現地の学校から来た担当者の方がカウンターに並んでいるのだが、日本語で相談ができなかったりする。これは(娘はともかく)私や妻には難易度が高すぎた。海外留学といっても世界は広い。アメリカの有名大学もあれば、地方の大学もある。ヨーロッパやアジアの大学もある。選択肢が多すぎて、ワケがわからなかった。

ようやく入国が緩和されたので、妻と一緒にメルボルンに娘を訪ねた。留学中のコロナ禍は大きな試練だったが、成長した娘に会えて実に楽しい旅行だった


娘は、高校では体育会系ラグビー部のマネージャーをしており、多忙を極めていた。成績はトップクラスを維持していたが、大学を探したりしている時間はなかった。

このままでは話が進まない……と思って、高校2年生の冬に「カリフォルニアに大学を見に行こう」と誘った。が、私は、結局仕事が多忙で行けなくなり、娘がひとりで行くことになった。

このたったひとりのカリフォルニア旅行が彼女の進む道を大きく切り開いた。彼女の中で、海外生活が具体的になり、その魅力を知り、自分で道を切り開くことを覚えた。結局、学費の問題などもあり、進学先はオーストラリアのメルボルン大学になったが、彼女はそのことを非常に満足していると言う。今後、どこかの大学院(彼女の中では、メルボルン大学、ヨーロッパ、東大などのオプションがあるようだ)に進むか、就職するかは思案中だが、もはや親が考えなくても、自分で考えて進んでいくと思う。

学期中は常に全力疾走で取り組まないといけないぐらい課題が多く、CAD、3D CG、アドビのグラフィックアプリなどを使いこなして与えられたテーマに取り組む必要がある。

学力とはまた別の力を持った弟

弟の中では「お姉ちゃんが海外に行ったんだから、自分だって負けてられない」という意識はあったようだ。

しかし、姉が膨大な学費を遣ってしまっているので、同じような道は難しいし、姉ほどの成績でもないから、スタンフォードだ、ハーバードだというような難度も学費も高い学校に行きたいと主張できないことは本人も分かっていた。

私も思案した。息子には息子の素晴らしさがある。まず、機械、コンピュータに卓越した能力を発揮する。小学校低学年の頃から、ArduinoやIchigoJamといったワンボードマイコンで遊んでいたし、(私に教わりながらだが)バルサ材から削り出してラジコングライダーを作ったりもしていた。古いパソコンはその頃から渡してあったのだが、ある日「パパ、Unityをインストールして欲しい」と言うから、インストールしたら、自分でフリーで入手できる3Dオブジェクトをダウンロードして、それらで情景を作り、それを動かして遊んでいた。ナチュラルにコンピュータを使える世代なのだ。

工作が好きで、小学校2年生頃にはハンダ付けを習得していた。写真はミニ四駆にArduinoというワンボードマイコンを組み込んで、iPhoneで操縦できるようにするキットを作っているところ。
同じく2年生頃。バルサの板や棒材から作るラジコン飛行機を作った。これはかなり親が手助けする必要があったが、飛行機を作りたかったのだそうだ。

その後、中学、高校は、陸上部で棒高跳びに熱中したり、ボーイスカウトで登山やキャンプに出掛けたり、ロードバイクにハマったりしていたので、少しパソコンからは遠ざかっていた。

エベレスティング10Kへの挑戦では、友人と計画を立てて、東京郊外のとある坂を24時間かけて163回上り下りした。

棒高跳びで県大会に出たり、ボーイスカウトでは夏の奥穂高や、冬の西穂高に登山したり、世界ジャンボリーで世界中のボーイスカウトと一緒にアメリカでキャンプしたりしていた。ロードバイクに乗ってレースに出たり、東京湾や琵琶湖一周に出かけたりもしていた。友人の自転車も部品で買ってきて彼が組み上げたりしていた(数十万もするような高価なロードバイクだ)。そのためにスポーツショップの自転車売り場でアルバイトし、仕事でも毎日自転車を組み上げて調整していたから、自転車を完全にバラバラにして組み上げることができた。

大磯クリテリウムという自転車のレースに出て、ピュアビギナークラス、ビギナークラスで優勝。次に出たスポーツクラスではトップを狙うも大転倒してリタイア。

この、コンピュータや機械に強いのと、熱中したことをとことん追求するエネルギーをどうすれば活用できるだろうか?

意外な狙い目、台湾進学

アジア圏の大学を検討したのだが、韓国やシンガポールは物価が高いし、フィリピンやインドネシアやベトナム、タイなどでは適切な学校を思いつかなかった。

そこで、考えたのが台湾への進学だ。ちょうどその頃、IT大臣のオードリー・タン氏が話題になっていたのもあるが、台湾は非常にデジタルに強い国。ご存知のように世界の電子機器の多くは深圳と台湾で作られているが、中でもハイエンドなものは台湾で作られている。iPhoneを組み立てているフォックスコンや、iPhoneやMacに搭載される世界最高の半導体を生産しているTSMCも台湾の企業だ。しかも調べてみると、学費も安いらしい。さらに食べ物も日本に近く、美味しいし、親日家の人が多いから生活しやすく安全だ。

子供の頃から機械を触ることに抵抗がなく、今もMacBook ProとiPadを自在に使う(ように親からは見える)。


「英語と中国語とプログラミングが出来たら最強だと思うんだけど、台湾に進学してみるっていうのはどう?」
と提案したら、
「いいね。オレもそれがいいんじゃないかと思ってた」
と、ふたつ返事で台湾への進学を目指すことが決まった。

台湾では、理系の授業は英語、それ以外の授業は中国語で行われる。そのために、中国語を勉強しなければならない。目指している東海大学の工学部に入学するためにはおよそ1200時間の勉強が必要だ。中国語の勉強時間、英語の能力、学校の成績、課外活動などによって推薦が決定される。台湾はボーイスカウト活動が活発なので、息子のボーイスカウトの活動成績なども評価されるらしい。

数年前までだと、新宿にある中国語教室に通わなければならなかったのだが、コロナ禍が幸いしてこの膨大な中国語の授業をオンラインで行うことができるようになっていた。今、彼は毎日6~9時間の中国語のオンライン授業を受けている。

中国語のオンライン授業にMacBook Proで参加し、iPadでテキストに書き込みを入れる。根っからのデジタルネイティブ。

また、台湾は中学、高校レベルでもIT教育が非常に進んでいるらしいので、そこもカバーしておく必要がある。オンラインのカリキュラムでPythonを勉強し、遊びで機械学習(AI)を実装したりしてみている。

台湾は大学に対する国のサポートが大きく年間の学費は約40万円。基本的には全寮制なのだが、寮費は年間で10万円。日本の大学に行くよりも安い。この点は非常にありがたい。ある意味では姉より親孝行だ(笑)

思いもよらなかった「最初のきっかけ」

というわけで、日本の大学ヒエラルキーに入りたくなかった姉と、その姉に負けたくなかった弟……というのが彼らが留学に積極的になった構図だ。しかし、最近、もうひとつ理由があったことを知った。

頻繁に友人に「どうやったら、子どもを留学に積極的にさせられるのか?」と聞かれるので、あらためて子どもたちに「なぜ?」と、聞いてみたら同じ回答が帰ってきたのだ。

それは、「小さい頃に寝物語に聞いたパパの海外旅行の話が面白かったから、日本以外にあるそんな面白いところに大人になったら行ってみたいと思った」というものだった。

子どもが小さい頃、私は多忙な雑誌の編集者で、帰宅するのは朝方、土日も取材……ということが多かった。そんな中、たまに子どもの寝かしつけをする時には、昔行った海外旅行の話をすることが多かった。

新婚旅行でロストバゲッジした話、インド西部の砂漠でラクダとラクダの運転手を雇って1泊2日の旅をした話、テキサスをバイクで走っていたら飛び出した鹿に激突、転倒した話、ブラジルのシュラスコで巨大な肉が無限に出て来て大変だった話……学生時代はバックパッカーだったし、社会人になってからも仕事でいろいろと無理な旅行をしたので、話のネタには事欠かなかった。雑誌編集者の常で、面白おかしく語ってしまったのは言うまでもない。

メルボルンで暮らす娘。日本という国に縛られず、好きな国で、好きな仕事をして暮らして欲しいと思っている。

そう言われて思い出してみると、子どもたちは、稀に私が寝かしつける時には、いつも海外旅行の話を聞きたがった。それが、今の子どもたちの海外へ向かう気持ちの原動力になっているかと思うと不思議な気分だ。

3~4歳の頃の話を、子どもたちはずっと覚えているのだ。今日、あなたが子どもとした会話だって、きっと彼らの血肉となり、いつか芽吹くのだ。別に海外旅行の話でなくてもいい、将来と人生に希望を持ちたくなるような話をしてあげて欲しい。

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編集者・ライター
村上 琢太

趣味の雑誌を30年間約600冊ほど作ってきた編集者・ライター。バイク雑誌『ライダースクラブ』で仕事を始め、ラジコン飛行機雑誌『RCエアワールド』、海水魚とサンゴ飼育の雑誌『コーラルフィッシュ』、デジタルガジェットの本『flick!』の編集長を務めた後退職。現在フリーランスの編集者・ライター。HHKBエバンジェリスト、ScanSnapアンバサダー。バイク、クルマ、旅、キャンプ、絵画、日本酒、ワインと家族を愛する2児の父。
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