―3回のオモテ― こどもたちの物語
プロスポーツ界の最前線で戦うスポーツジムが作った中学野球チームは、はたして令和の“がんばれベアーズ”のような、ドラマティックな結末を迎えることはできるのだろうか? この物語はこれからどちらに転ぶともわからない、現在進行形で進んでいる完全ドキュメントな“野球の未来”にかかわるお話である。野球作家としてお馴染みの村瀬秀信氏が、表に見えるこどもたちのストーリーと、それを裏で支える大人たちの動きや考えを、それぞれ野球の表裏の攻撃守備ように交互に綴っていく。
ランニングから戦闘態勢!
正直ビビった夏合宿初日
この1年で一番大きな出来事だったのはやっぱり合宿だったと思います。朝から晩まで野球漬けの4日間、練習は厳しかったけど、これを乗り越えられたことでチームにまとまりができた気がしています」
キャプテンのキズナがしみじみと振り返った、
あの夏の思い出——。
夏合宿。
“半年で別のチームになった”と言われるようになった僕らが、おそらく全員「大きく成長できた理由はここだった」と口を揃えるであろう最初のできごと。
2021年8月4日から3泊4日。茅ヶ崎ブラックキャップスは長野県の筑北村で、はじめての合同強化合宿を行った。合同というのは新潟のチーム「新潟ボーイズ」と「上越ボーイズ」を合わせた3チームのことで、この2チームの監督をしている田中健太郎さんは、元読売ジャイアンツの選手というすごい人だ。
「おまえら、相当厳しいからな。覚悟しておけよ」
僕たちは合宿前に監督からそんな話を重々聞かされていたのである。でも合宿とはいえ、はじめてのチームでの泊りでの遠征である。行きのバスの中ですっかり遠足気分になっていた僕たちは、グラウンドについて完全に場違いなことに気がついた。
「こんにちは!」
到着早々、グラウンドに並ぶキレイな坊主頭の中学生100人ぐらいが一斉に声をあげる。びりびりと腹の底に響くような声。2年生、3年生は体格が一回りも二回りも違う。
デカい。正直、ビビった。そもそもの“声の出し方”が僕らとは違うように感じる。みんなあまりのことに圧倒されてしまっていた。汗が噴き出てくるのは真夏の太陽のせいだけじゃない。ニヤニヤしているように見えたかもしれないがあれは完全な苦笑いだ。ぼくらは目立たぬようにグラウンドの隅っこで所在を無くしていた。
「今日から一緒に練習する茅ヶ崎ブラックキャップスのメンバーだ。よろしくな。この3日間はうちの選手と同じように扱う。挨拶と返事だけはしっかりやってくれよ」
最初の円陣で新潟/上越の監督である田中健太郎さんに釘を刺された……けど、みんな緊張して返事の声がなかなか出ない。
202186_210817_31
円陣がほどけてランニングになると、ぼくらはいっそう凍り付いてしまった。新潟と上越の選手のランニングでの声の大きさ、そして揃いっぷり。なんだこれは、一糸乱れず、すでに戦闘体制に入っているような気合いがだだ洩れてくる。ぼくらはすでに完全に戦意喪失である。
「おまえらは先輩がいないんだから、この合宿でたくさん学んでいきなさいよ。最初は先輩のマネをすればいいんだから」
いわれるがまま、新潟の先輩たちのようにランニングで腹から声を出してみた。まだ弱々しい感じだけど、次第に揃っていくような気がした。グラウンドのバックネット裏にある横断幕には“強い信念、指示確認 伝わる声を”という言葉があった。「声を出すのは大事だけど、ちゃんと理由がないと意味がないんだよ」。新潟の先輩がそんなことを教えてくれる。ただ大きければいいわけじゃない。意味がある声を……と言われても、まだ要領が掴めなかった。
濃密なのは練習だけじゃない
準備も全部自分たちでやる
避暑地の長野とはいえ炎天下のグラウンドは30℃を越える猛暑日。新潟の1年生と同じノックに入れてもらい、必死について行ったけど、守備練習も打撃練習も、新潟と上越の選手はレベルがすごく高い。それでもミスが出ると、田中健太郎さんから容赦のない叱責が飛ぶ。
「しっかりやれ、バカちんが!」
「捕る気がないなら、やめちまえ!」
言葉は結構キツイ。いやドギツイのだが、どこか笑えるというか、ユーモアがあるから恐い感じはしない。それよりも不思議とチクショウと負けん気を呼び起こされるのだから、うまく掌の上で乗せられているのだろう。新潟と上越の選手たちの活気があるのはこの田中さんがいるからなんだろうなとすぐにわかった。先輩たちと泥だらけになってボールを追っかけて、ホースで水をぶっかけてもらったら、とても気持ちがよかった。
さらに、驚いたことに走塁練習では特別講師として田中さんの先輩、なんと元巨人の鈴木尚広選手が来てくれた。足のスペシャリストとしてプロの世界で盗塁を決めまくっていた鈴木選手にリードから、スタート。走り方から、スピードの落ちないスライディングまで、プロの技を指導してもらう。
その後はゲーム形式のノックに、バッティング。厳しくも濃密な時間はあっという間に過ぎて、気がつけば日が暮れかけていた。最後に新潟・上越の選手がとても大事にしているという「道具の手入れ」や「グラウンド整備」など練習への準備の入り方をイチから教わった。
夕飯を19時ごろに食べて最後にナイターのなか合同で素振りして1日目の練習が終わる。宿舎へ帰ると21時。風呂に入って、ミーティングしたらへとへとだ。それでも眠い目をこすりながら、普段やったことのないユニフォームの洗濯を全員でする。
親がいないとこんなことまでやらなきゃいけないのか……と愚痴りつつ、すべてが終わるころは23時過ぎ。ああ、めちゃくちゃ練習した。と考える間もなく倒れるように眠りについていた。
練習以上に食事もキツイが
チームが変わってきた実感も
2日目。昨日の練習がキツイキツイと思っていたけど、ぜんぜん甘かった。本当の厳しさはこの日からはじまる。朝6時起床。いまから1時間走るという。起き抜けの1時間。なんで? と考える間もなく走り出す。キツイ。苦しい。なんとか走り終わっても、まだ8時前。すでにグロッキーなのだが、さらに朝ごはんをたらふく食べて、9時からグラウンドで練習だ。
またしてもピーカンの炎天下。数か所に分かれてロングティーを延々と打ち続けたり、守備練習でグラウンドを走り回ったり。練習自体も昨日にも増して厳しくなっていくなかで、明らかに元気がなくなっていくやつと、負けん気を出して声を張り上げるやつがいた。
そして、ある意味練習以上に厳しかったのがごはんの時間だ。身体が大きくなる中学生は、運動と一緒にしっかりと食べることも大事だ。朝・昼・晩と1時間ぐらいかけて結構な食事を食べるほかに、各食事の間に捕食を食べるのだが、これがどんどん食べられなくなっていくのだ。最初にごはんがキツイと感じたのは2日目の昼飯だった。過酷な練習で⾷欲なんてまったく湧かない中、容赦なく出てくる⾷事にみんな⼼が折れてしまい、⾷の細いリキやユウセイなどは⾷べられずに泣いていた。
それでもみんな、なんとかして食べ終えて練習へと戻るけど、しばらくすればまた捕食の時間が来る。食べられないやつは、食べ終わるまで練習に戻れず、どんどん脱落していったけど、最後には全員既定の量をこなし、2日目の練習を終えることができた。
3日目は目覚めるのも嫌だった。今日も朝6時から1時間ランニングだ。帰って朝ご飯を食べる。キツイ。もう帰りたい。みんなの顔にそう書いてあった。だけど、あと1日半。なんとか乗り越えればというところで、救いとなったのは、この日は午後から練習試合をやることになったのだ。
試合ができるよろこびに飢えていた僕らは、燃えた。上越ボーイズの1年生を相手に逆転勝ちすることができた。この試合、みんな、気持ちが入っていたように思う。声も負けていないし、プレーだって負けていなかった。
「ここに来た時の顔とは全然違うよ」
田中さんがそんな言葉を言ってくれたけど、僕らはただ必死についていっただけだった。
過酷な練習を乗り越えたことで
自分たちの本当の力に目覚めた
4日目。最終日。朝のランニングも今日で終わりだと思うと気持ちの入り方も違った。朝ごはんを食べて、グラウンドに出て最終日の練習と試合がはじまる。最後の最後まで田中さんが先頭に立って、ちょっと口が悪いなぁと思いながらも大声を出しながら練習を引っ張ってくれる。この人がこの中で一番動いていて、やっぱりプロになるまでの人はすごいと思った。
そんな中、ユウギがグラウンドの隅で田中さんと話をしていて、泣いている姿を見た。普段あんまり感情を表に出さないのに、この合宿を乗り越えて何かしら思うことがあったのかもしれない。でもユウギだけじゃない。みんな、この4日間の合宿。頭で考えている分には、とてもできない、無理だと思うしかなかったであろう過酷な練習を、現実として乗り越えることができた。これは僕らにとってはものすごい事件で、とてつもない自信になった。
そう。これまで“できない”と思っていたことは、ただ自分たちが厳しいことをやってこなかっただけだった。最初からありがちな材料を言い訳にして、本当に挑戦して、乗り越えようと試みることをしてこなかった。そんな僕たちが、このバカみたいに厳しい練習を乗り越えることができたことは、これからやってくる困難に立ち向かうための大きな武器を得られたような気がする。
できる。やればできるのだ。それは、本当に生まれて初めて気がついた自分の力なのかもしれない。
夏合宿をやりきった選手たちを乗せた茅ヶ崎へ帰るバスの中では、誰一人として起きていられる選手はいなかった。中学生は短時間で飛躍的に成長するという。僕らが目覚めた時、どんな選手になっているのか。
【つづく】