「白鳥の湖」など数多く優れたバレエや交響曲を生み出したロシアの作曲家ピョートル・チャイコフスキー。ロマンチックでメロディアス、分かりやすくて感動的なその作品は、一度聞けば誰でも口ずさめるほど印象的である。日本でも数多くのCMにも使われ、知らずにその作品を耳にしていることだろう。今も昔も女性ファンが多く、チャイコフスキー自身も当時から女性ファンに助けられて作曲を続けていた。ただチャイコフスキーはそんなファンの女性と複雑な関係を保ち、苦悩に満ちた人生を歩んだ。
1840年 (0歳)
ロシアで生まれる
1845年 (5歳)
ピアノを習い始める
1850年 (10歳)
法律学校に入学
1859年 (19歳)
法務省に就職
1862年 (22歳)
音楽学校・ロシア音楽協会で学び始める
1863年 (23歳)
法務省を退職し音楽家となる
1866年 (26歳)
音楽教師としてモスクワで働く
1876年 (35歳)
ナジェジダ・フォン・メック夫人からの資金援助がはじまる
1877年 (36歳)
アントニナと結婚直後に自殺未遂。離婚
1893年 (54歳)
死去
遅咲きの天才と大富豪の未亡人
現在に名を残す偉大な作曲家は幼少期から音楽的才能を発揮することが多いが、チャイコフスキーはどちらかというと遅咲きの天才である。ピアノや聖歌隊での音楽活動は子供の頃から始まっていたが、それを生業とするわけではなく、法律に従事する職についた。ただ、一度は社会へ出たものの音楽への情熱は衰えず、音楽院で学び直して作曲を開始する。当時のロシアは、ヨーロッパに比べてまだ音楽が成熟しているとは言えず、音楽院設立が始まったような、まさに黎明期にあった。そこにうまくチャイコフスキーの才能がはまり、教鞭をとりながら作曲活動を続けていた。音楽活動開始ほどなくして交響曲やピアノ協奏曲、幻想序曲『ロメオとジュリエット』など多くの優れた作品を世に出していたが、当時、作曲家や音楽家の収入は十分とは言えず経済的には大変苦労をしていたようだ。
そんな中で、チャオコフスキーは運命的な出会いをする。ナジェジダ・フォン・メック夫人である。
ナジェジダは当時、ロシア大富豪鉄道王の妻だったのだが、その夫と死別し莫大な財産を相続していた。自身もピアノを演奏する大の音楽好きだったようだ。そんなナジェジダはある日偶然に、チャイコフスキーの作品を耳にする。チャイコフスキーがその場にいたわけではなかったが、その音楽の完成度の高さとチャイコフスキーの才能に感銘を受けたナジェジダは、その活動をなんとしても支えたいと願う。そうしてほどなくしてチャイコフスキーに資金援助を申し出たのである。苦しい懐事情をかかえていたチャイコフスキーにとっては、ありがたいことこの上ない。
このコラムでも何度か登場しているように、どうもクラシック音楽作曲家はお金の管理ができない場合が多い。借金にも頓着しない。チャイコフスキーもそうだった。法務省勤めだったとは思えないだらしなさで、あちこちから借金をしてはそのままになっていたようだ。そんな生活をナジェジダの援助でなんとか持ち堪え、作曲に専念できるようになったわけだ。その額は、その頃のチャイコフスキーの年収の二倍を超えると言われており、それだけの支援がその後14年間も続いたというのは、驚きに値する。推し活もここまでくると単なるファンでは終わらない気がするのだが、なんとチャイコフスキーとナジェジダは「一回も直接会ったことがない」のだ。14年の経済支援活動の間、二人は代理人を介したやりとりと手紙のやりとりだけ。徹底した一ファンでありつづけるナジェジダは、チャイコフスキーの名声が届くのを楽しみにし、思いのこもった温かな手紙をしたため、お金を送り続けた。チャイコフスキーもまたその援助に感謝し、交響曲第4番を捧げる。
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世間体を気にした、愛のない結婚生活
ファン心理、推し活心理を私はなかなか理解できないのだが、現代も自分の収入の多くを捧げてアイドルを支援するオタクの皆様には、このナジェジダの心理が理解できるのであろう。そして、何より私がナジェジダにとって「幸い」だったのが、チャイコフスキーの恋愛対象が女性ではなく男性であった点だと思う。
今でこそ多様性を良しとしLGBTQなどへの理解をすすめようとしているが、当時はそのような生き方をおいそれと公表できるような時代ではなかった。現代でさえマイノリティの苦悩が解消できていないのに、当時はなおさらだ。事実、チャイコフスキー自身がそれを公言できていたわけではなく、世間体を慮って一度は女性と結婚を試みたことさえあった。
ナジェジダからの援助がはじまっていた36歳のころ、チャイコフスキーは音楽院の生徒であったアントニナから熱烈にアプローチを受ける。そしてその熱意に根負けして「愛してはいないけど結婚してもいいよ」と言ってしまう。なんだそれは、と思わなくはないが、大好きな人から結婚のオファーがあったら、喜んで受けちゃう気持ちもわかる。そのうち好きになってくれるかも!なんて淡い夢を見てしまうものだ。アントニナはその時28歳で、当時としてはすでに周りは結婚して子供もいるような年齢で、好きな人と一刻も早く結婚してしまいたい、結婚してしまえばこっちのものと思ったとしてもおかしくはない。しかも相手は才能ある作曲家で、おそらくほどほどにモテる。自分を愛していなさそうであっても、まずはしっかりと法的な立場をゲットしておきたいのが恋する女の心情である。相手の恋愛対象が男性だとも思っていなかっただろう。
だが、そんな恋するアントニナは、結婚してチャイコフスキーと一緒に住む幸福にすっかり酔っていた。「朝起きて一緒にコーヒー飲んでる人の横顔が素敵すぎてやばい(意訳です)」と友人に手紙に書いたりする。「うちの旦那さんの笑顔はなんて素敵!神様ありがとう!」と思ったりする。しかしこの人生がいつまでも続くというアントニナ期待は、結婚後すぐに破られてしまう。チャイコフスキーは結婚後わずか6週間でこの生活から逃げ出ししてしまう。精神的に追い詰められていたようで、モスクワ川に飛び込んで自殺未遂まで図る。
実はこの結婚の前、チャイコフスキーは自分の弟に宛てて「社会的に許されない、乗り越えられない障害を抱えている」と同性愛を匂わせる手紙を書いていた。アントニナとの結婚は、それをカムフラージュするためだったのかもしれない。だが結果として、チャイコフスキー自身がそれに傷つけられ、追い込まれた。自殺未遂の後、その弟はチャイコフスキーを匿って静養させた。
一方、突然結婚生活を終了させられたアントニナは当然すぐには納得できず、あれこれと手紙を書いてはチャイコフスキーを取り戻そうとする。しかしどうしてももう二度とアントニナを受け入れられないことに気がついてしまったチャイコフスキーは、贖罪の気持ちからか、その後生涯にわたってアントニナに経済的な支援を行ったという。悲しすぎる。
援助はするけど、決して会わないファン心理
その頃もナジェジダの推し活はきちんと機能しており、チャイコフスキーはナジェジダに手紙でアントニナとの一部始終を相談までしていた。ナジェジダはその度にチャイコフスキーを慰め、励まし続け、アントニナから逃れるための資金まで出し作曲の支援を行った。手紙で。手紙だけで。
ナジェジダは確かにチャイコフスキーがその才能や作る楽曲だけでなく、手紙のやりとりをしながら理解していたその人間性も好ましいと思っていただろう。現にチャイコフスキーがアントニナと結婚した際、チャイコフスキーへの手紙の中で「あなたが結婚しちゃってすごく辛い。すごく今彼女に嫉妬してる」と書いたりもした。そこまで思うなら、会おうと思えば、会えたはずである。
だがナジェジダは絶対にそうしようとはしなかったらしい。私はここにある一定のファン心理を当てはめたいと思う。
本当にアイドルを好きで応援しているファンがみな、自分と結婚してほしい、現実に自分の人生の中に入ってきて欲しいとは思っていない。ある意味アイドルの存在そのものはファンタジーであり続けて欲しいと願うものだ。ライブに行く、テレビや動画で応援をする。握手会に行く。だけどその相手が自分の生活の中に入ってきてしまったら、夢から覚めてしまうからだ。だが、だからといってアイドルが匂わせ彼女と結婚されたくはない。そこに生々しい現実を想像させられるように思うからである。
アイドルの人生を応援したい、いくらでもライブにつぎ込むし、グッズも買う。けれどそれはあくまでも幻想への対価である。自分の課金を匂わせ彼女に注ぎ込まれるのを想像してしまうことは避けたいのがファン心理である。
大富豪未亡人ナジェジダがチャイコフスキーに会わなかったのも、そこに現実味を入れたくなかったからだと私は思う。自分が資金援助して作り出された美しいバレエや、自分に贈られた音楽を、世界の人々が楽しんでいる。これがどれだけファンとして嬉しいだろうか。そしてその本人からは時々手紙だってくるのだ。しかもどうやら恋愛対象は男性らしい。女性ファンにとってこれは好都合でもある。
古今東西、女は女と競うものだ。もし自分の好きな人がまたどこかの女性と結婚しようものなら、嫉妬してしまうに違いない。けれどもその相手が男性だったら。そもそも自分と同じ土俵ですらないので比べる意味がない。純粋にその恋を応援できるというものだ。ファンタジーがファンタジーとしてそこに残るわけである。男性諸氏には理解してもらいにくいだろうが、この心理を持つ女性は多い。宝塚歌劇団の男役を好きな女性や、近年の氷川きよしを応援する、あの心理である。
チャイコフスキーは優れた良識的な良いファンがいた。それが彼の複雑な人生にとってどれだけ良い側面だったかと思う。経済的な支援だけでなく、ファンとして慎ましく分別を持って接し続けたナジェジダがいなければ、今に残る名曲の数々も生まれなかったかも
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