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あの町この町、ニュー風土記 vol.3

個が立つ町 京都

author: 大澤思朗date: 2022/06/15

東京・高円寺でお店を構え「妄想インドカレー」という架空のインドカレーを作っている僕たち夫婦は、日本各地積極的に動いては、お店を飛び出してカレーを作っています。飛び出した先にあるのは現在進行形の街の姿、ニュー風土。街の隙間を覗くことで見えてくる魅力的な個人商店たち。

儀式のように

庭師の友人が京都で石を浮かべた展示をするという話を聞き、カレーを作りに行きました。

10年くらい前。彼は突然庭師になるといって、東京から京都に行ってしまった。かつて彼はNHKの教育番組の制作を、自分は飲食業界で、未来へ繋がる今は辛抱だと朝から夜まで瞬速で過ぎ去る日々を過ごしていた。

学生時代にはお互い無限にあった時間を、代々木公園でコーヒーを淹れて過ごしていた。振り返ると涙が出てきそうに色鮮やかだけど、現実的な色味を帯びてはいなかった。そんな日常から彼は突然抜け出していった。

お寺の庭を作る姿。植物が育つ何十年も先を想像しながら植樹していく。

彼は今、独立して「達造園」を営んでいる。昔気質が色濃く残る造園業で親方から造園のイロハを一から教わることは決して楽な日々ではなかったはずだが、現在の彼の飄々とした立ち振る舞いから過去の日々は全く伺い知れない。

しかしひとたび仕事場に降り、達造園と描かれた法被に袖を通すと、さっきまでの華奢で都会的だった雰囲気が嘘みたいに思える。この土地に根を下ろしている職人の姿。足元は直足袋だ。

「靴底が薄いから足下の土を感じられるんだよね。まあでも、なんと言っても格好いいしねー」

そう言ってスタイルをめかし込んでいる様は正直で、彼の不変的な部分を感じさせながらも背中の屋号はしっかり体に馴染んでいた。

堀川通りという暗渠の上の大通り、その通り沿いの商店街で展示は開催された。商店街に開けっ広げの空間、普段は公文式の教室として近所の子どもたちが通う生活の一部分。達造園はその場所に1週間だけ市内を囲む山から石や植木を運び込み作庭、庭の真ん中に石を浮かべた。

日本庭園の作庭では、石組というまず石を「据える」ことが大事とされる。時間の経過に共存することが庭の大事な姿であり、その中で石は流れていく時間の対照的な存在。本来は据えるはずのその石を、人為的に道具を使い宙に浮かせている。

ゲームやアニメで定番の浮遊石。視覚的にはカジュアルに人を惹きつけておいて、それは彼自身の

“かます”反骨精神を剥き出しにしていた。そんなことしてしまったら親方に怒られやしないだろうかなんてチープな不安は杞憂だった。一人親方が自分の名前を背負って営む術とは、そういうことなのだろう。

不動の石と変化する植物。期間中はこの空間でライブも開催され、その様はどこか儀式性を帯びていた。

堀川会議室から路地裏に入り好奇心の赴くまま進んでいくと、現代の生活にそぐわない町割で今も続いてる生活の中へ迷い込む。車幅より狭い路地は直角に折れ、角々に防火用水のバケツが置かれている。猫が横切った先からは、西陣織り工場があってカタンカタンと路地に響いている。路地の先には唐突で極端な高低差が見える、平坦な周囲の中で浮いているような地形。

こういった微妙な地形の変化(微地形)が随所に表出しているのは、聚楽第という秀吉が築いた幻の城郭の名残だという。そんな名残は、そこで生活する人達からしたら妙な段差みたいなもので、そこを突っ掛けにしてセルフビルドの改築をしたり、誰の所有物か分からない植木鉢が集まり魅力的な共有空間として機能していたり、微地形は保存される訳ではなく、暮らしのアイディアのきっかけみたいな感じで今も生きている。

手仕事のかたち

京都市内は東西南北を山に囲まれた盆地で、どこからも家と家の隙間の奥には山の姿が見える。自転車を漕ぐと、町中でも山がみるみる近づいてきて、山に向かって道はなだらかになだらかに傾斜となり、ペダルをこぐ足に重さが伝わる。山は霊場に繋がっていて、文字通りの霊感あらたかな環境だという。肌に触れる空気の温度が下がっていくのを感じる。

左京区は京大や精華大学など7つもの大学がある町だが、その割には大衆酒場や喫茶店などは町であまり見かけない。その代わりだろうか、鴨川の河岸では若者をよく見かける。自分たちの拠点を作り楽器の練習やピクニックなど、楽しそうに鴨川を利用している。

鴨川と高野川の合流地点、通称鴨川デルタ。ある年の大晦日、京大生がゲリラで中洲にティピを建て、そこでギターを弾いたりしながら焚き火を囲んでいた。しばらくしてパトカーがやってくると、火は消え、大人しくティピは解体へ。そりゃそうかと思いながらも、この町では学生が自治権を持っているような、そう思わせる鴨川のティピだった。

ひと昔前まで日本全国の魑魅魍魎が毎夜集う百鬼夜行な居酒屋として魔窟を思わす空気感を漂わせていた村屋では、今では心なしか明るくなった店内で地元の学生が座敷でみんな楽しそうに杯を重ねている。完全にうがった目線でみると、妖怪と学生さんが共存している、そう見えた。

左京区の住宅地に3年前、東京から移住し楽器製作をしているレオナくんのアトリエRivertone instrumentsを訪ねた。東京では持ち前の器用さから、フィギュアや人形の原型を手作業で作る原形師で、若い頃からずっと音楽活動を続けてきた。

レオナくんは音楽を生業にする新しい生活を想像する中で、普段からずっと触れてきた楽器を原形師としての技術を使えば再現することができるという直感があった。楽器づくりに必要な機材はどれも大きく、揃えるとなるとどうしても広い環境が必要だと、ネットで探したのが今の左京区の家。特に縁も縁もあったわけではない京都に、確信を持って引っ越してきた。

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役割ごとに吊るされた工具たち、いつか床をぶち抜きそうな重みを感じる機械たちが部屋をぐるりと取り囲む

部屋の一部を仕切って自分で施工して塗装場を作ってみたり、天井を抜いて剥き出しになった梁に楽器を吊るしたりと、レオナくんがやってくる前は普通の家だったはず。手先の器用さと好奇心によるセルフビルドの空間。息抜きで自作の楽器も作ったりしているそうだ。椅子に座っていじっているその楽器は調子が悪くて上手く音が鳴らないことも。自分のために作った息抜きの自作楽器、なんて愛おしい好奇心の賜物。

京都は音楽界隈は盛んでありながら、友人の友人でほとんど界隈が成立しているという。自分たちも京都には年に数回は出張で訪れることがあり、京都での生活や店舗の運営に憧れることも多いが、そういった村的な環境に東京から侵入する不安で実現へ進めることはできていない。レオナくんは臆することなく積極的にライブやイベントに顔を出して、仕事へ繋がる可能性をうかがっている。

「京都独自のディープな音楽のスタイルがあって日々刺激を受けてます。ライブを見てアイデアが浮かぶ事もよくあって、製作にもプラスになってます」

文字に起こすと真面目な答えになるけれど、独特の軽やかさを纏った彼の口から発せられると、創作の原動力であろう好奇心と探究心の強さが伺える。

最近はリサイクルショップで発掘してきた囲碁版で楽器を作っているという。アトリエで積まれている囲碁版は、研磨と切り抜きを重ねて楽器へと変化する。いかにも意味が込められた企画かなにかなのかと聞いてみたら「安く一枚板を仕入れてるだけです」と笑って答えてくれた。

彼の気が利いたアイディアの一つひとつが特注の価値になっている。

誰かの実家

日が暮れて繰り出すのは四条大宮。「会館」というカラオケスナックやカウンターだけの狭小居酒屋が肩寄せ合ってひとつの建物に共存する、京都ならではの飲食文化が生きる町。居酒屋と居酒屋を渡る漫画みたいな酔っ払いがすれ違う町。その町の片隅に大好きな居酒屋がある。京町屋という昭和生まれの外面だけ残すような言葉ではくくれない、生活を色濃く残す住宅を改装したお店、壺味。

名物は葱焼き。鏡面仕立てのように磨き上げられた鉄板に生地を薄く広げ、その上に九条葱を何度も重ね山にすると、極弱火で1時間かけてゆっくり焼きあげる。その丁寧な調理工程は見ているだけでも酒が進む。

「この人はさ、あの葱の上に乗っけてるちくわが何枚かまできっちり決めてるからね」

店主、工本さんの几帳面なこだわりを話す常連さんの得意気な笑顔が関係性を物語っていて、自分たちがその空気にふらりと吸い込まれてしまったことにも頷けた。

ウナギの寝所、通り庭と呼ばれる店舗奥まで突き抜ける、細長い土間に厨房があり、そこを行き来する工本さんとそのお母さんの姿を前に座っていると、否応なく共存する生活感に現在地を見失う感覚が酔いと共に加速度的に進んでいく。

これはきっと、さっき飲んだ名物『ピンク爆弾』によるものに違いない!『ピンク爆弾』はパッションフルーツのお酒にサワーを割った、いわばお酒でお酒を割った、可愛らしいピンク色に甘い飲み口でするする進んでしまう、とんでもない名物酒。

お母さんから何を飲んでいるか聞かれて答えたら「どっひゃ~」とコミカルにおどけてくれた! 葱が目に染みるからとサングラス姿で登場する姿、あどけない表情が本当に可愛らしい。友達のお母さんと話しているような親しみを覚える。

A5ランクの和牛を気軽に焼いてくれるのが、壺味の極上のステーキ。

自分たちにとって、京都は出店や旅行で1番訪れる機会が多い町である。何年にも渡って通っていると友人から友人へ繋がりが広がる。そうした繋がりの友人のほとんどが他県から移住して京都で商いをしていることに気がつく。

排他的で外から入ることが難しいと言われていたこともあったと思うが、移住10年選手の個人事業主たちがゆっくりと土地に馴染み、少しずつ門扉を開いてきたのかもしれない。京都を地元として商売を続けてきたお店とお客さんの気の置けない関係性も、移住者が新たに始めていった商売の多様性も自分たちを惹きつけてやまない町の力となっている。

=出張の記録=

=妄想インドカレー定食=

✳︎大原野はちお君の竹の子サンバル
✳︎スペアリブのポークビンダル
✳︎飯南の蕗のサンボル
✳︎飯南のイタドリとキクラゲのアチャール
✳︎小茄子のピクルス
✳︎自家製台湾キムチ
✳︎赤紫蘇のダール

=special=

✳︎バナナ&カルダモンラッシー
✳︎痺れるチャイ

=PICK UP=

Rivertone instruments
京都府京都市左京区一乗寺東杉ノ宮町6

壺味
京都府京都市中京区大宮通錦小路下ル

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妄想インドカレーネグラの店主
大澤思朗

夫婦で妄想インドカレーネグラというお店をやっています。 近所の銭湯から、秘境温泉街まで、よく動き出張してカレーを作っています。「感じルゥ〜〜〜インド」「チリチリ酒場」「レペゼン万博」「スパイスヤードカウンシル」など、旅をして、カレーと面白い人達と面白そうなことを企画することが好きです。
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