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迫力の塊肉とスパイスがやみつきに!

オモチャ箱みたいな隠れ家で食す、スリランカ・カレー

author: 高崎 計三date: 2021/07/26

おいしいカレーはインド系だけじゃない? 流行し続けるスパイスカレーともまた違う、「スリランカ・カレー」の世界が奥深い味わいを秘めている。そんな自らのスタイルを極め、料理に昇華した渋谷の隠れ家名店で、ピリリと舌にくる一皿を食べてきた。

「自分の道」を見つけられた者は幸せだが、その道がどこから始まっているかなんて、見つけた後に振り返ってみなければ分からないものだ。志藤幸光さんが渋谷・宇田川町でスリランカ・カレーの店「マリーアイランガニー」を営むまでに通った道も、思ってもみなかったところから始まっていた。

 志藤さんとスリランカの縁は、スリランカ人の奥さん、リンダさんと出会ったことから始まった。

「若い頃にロックバンドでボーカルをやってまして、その時のドラマーがライブに連れてきた学校の友達だったんです。それで惚れられて(笑)、付き合うようになって。それまではスリランカのことは全く知らなかったですね」

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 リンダさんとは5年の交際を経て結婚に至ったが、志藤さんとスリランカとの距離は一気に縮まったわけではない。新婚旅行は「ヨーロッパがいい」というリンダさんにわがままを言ってタイにしたし(理由は後述)、初めて食べたスリランカ・カレーは「ものすごく辛くて、全然食べられなかった」という。初めてスリランカの土を踏むのは、結婚して1年が経った頃だった。

 ではそんな志藤さんが、なぜスリランカ・カレーの店を開くに至ったのか。そのきっかけの一つは、彼の職歴にあった。主に営業・販売の仕事をしていたが、勤めていた会社を辞めることも何度かあった。

「40歳の頃、最初に入った会社を辞めた時に、新中野で妻のお父さんが経営していた『スジャータ』というスリランカ・レストランを手伝ったんです。それが最初のきっかけですね。手伝ったと言ってもカレーを作っていたわけじゃなくて、タマネギを切ったり、ホールの手伝いをしたりぐらいなんですが」

 2年ほど手伝った後は再び営業職についたが、2013年にまた辞めた時に「カレー屋さんをやろうかな」と思いついたのだという。サラリーマンが自営業に移るには相応の覚悟が必要に思えるが、志藤さんがそこで一歩踏み出せた背景には、格闘技の力があった。

格闘技経験が変えた「あと一歩を踏み出す力」

 子供の頃からプロレスやボクシング世界戦をTVで見ていたという志藤さんは、ある頃からタイの国技ムエタイにハマった。新婚旅行の行き先をタイにしたのも、「一度は本場でムエタイを見てみたい」と思ったからだった。年月を経て、ボクシングに蹴りとヒジ打ちが加わったムエタイの奥深さにさらに興味を深めた彼は、高円寺の格闘技ジムに入会して実際にやり始めた。

「始めた時はもう50歳。スパーリングを自分がやれるようになるなんて、思ってもいなかったですよ。でも実際に相手と殴ったり蹴ったり、殴られたり蹴られたりをやっているうちに、『何でもできるんだな』と思えるようになって。失敗してもやり直せばいいだけじゃないですか。あの時の格闘技の経験があったからこそ、『一歩踏み出そう』という気持ちになれました」

 決意を固めた志藤さんは都内を巡り、渋谷の物件と出会った。「店をやろう」と思い立ってからオープンまでは約半年というスピードだった。「やってみて考えよう」ということで、店内のレイアウトも居抜きのまま。厨房部分を作り変えるに留めた。

 未経験の店舗運営は手探りで始めることとなったが、カレーの味はその当時から全く変わっていないという。

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「カレー作りに関しては、すごくたくさんリハーサルしたわけではなくて、けっこう早い段階でおいしくできたので、『これでいこう』と。ただ、最初に味を決める時に、塩加減を巡っては義父とかなりぶつかりました。義父や彼のお店の常連さんは割と年齢層が高いので、彼らが求める味にしたら、自分が想定する30~40代のサラリーマンという客層にとってはパンチが足りないだろうと思ったんです」

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いざ実食!巨大な塊肉とスパイスの効いたルーに舌鼓

 と、ここまでお話を伺ったところで、いよいよカレーをいただくことに。一番のオススメである「ポークカレー」(0000円)は、ルーのど真ん中に煮込んだポークの塊がドドーンとそびえる迫力のルックス。ポークを端から崩しながらライスに絡めて食べると、ルーは舌先をピリリと刺激する、いわゆる「辛シビ系」だ。だが辛すぎはせず、しかも柔らかいポークがほどよく緩和してくれるので、汗をかきながらもやめられない。

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「スリランカ・カレーは、『カラピンチャ』と呼ばれるカレーリーフと、『ランペ』と呼ばれるパンダンリーフの両方のスパイスを入れるのが特徴です。それに義父が年に数カ月、現地に滞在して作ってくるトゥナパハという混合スパイスを入れて。ウチのカレーは本場のスリランカ・カレーとも少し違っていて、ココナッツミルクを使っていません。ココナッツファイン(ココナッツの果肉を細かく削ったもの)を炒っていれているだけ。義父の家で作られていたカレーがベースになっていて、スリランカの家庭料理と思ってもらえれば」

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 食べながら店内を見回すと、所狭しと飾られているのは、象の顔をした神様「ガネーシャ」の像などスリランカらしいものばかり……ではない。ガネーシャが鎮座する一角も確かにあるが、厨房近くの壁にはレコード盤が並び、別の一角にはゴジラやガメラ、キカイダーなど特撮関係のフィギュア、そして本棚にはムエタイの技術教本も。これらは全て、志藤さんの趣味の世界だ。

「ずっと一人で店にいるので、精神的に落ちちゃったら続けられないじゃないですか。だからできるだけ自分にとって居心地のいい空間にしようと思って、家からいろいろ持ってきたんです。お客様には悪いんですけど、この空間に一番長くいる人間に一番気を使うべきだと思って。開店当初はスペースの半分を『スリランカ・ゾーン』にしていましたが、だんだんとフィギュアたちに浸食されてきてますね(笑)」

 店内のBGMも、最初はPCに取り込んだ音楽をかけていたが、友人からレコードの良さを説かれ、たくさん買い集めた。中学の頃から好きなボブ・ディランをはじめ、ジャンルは多岐に及ぶ。

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「ついこの前までは、オープン準備の時間にモーツァルトを流していたんですけど、最近はシャンソンがお気に入りです。営業時間中はずっと音楽をかけてますね。大きな音でかけるとお客さん同士の会話が抑えられるから、感染防止対策ということで(笑)」

 特撮のフィギュアは「末っ子で親が厳しかったので、子供の頃は欲しいオモチャも買ってもらえなかった」反動から、今は欲しいものがあると思わず買ってしまう。音楽は「会社員時代は音楽を聴く時間も限られていましたが、ここではヘタすると24時間、好きな音楽をかけられる。何か爆発しちゃって」。そんなモロモロが重なって、店内は完全に志藤さんの「マイワールド」と化したわけだ。

 オープン以来、メニューはほとんど増やしていない。カレーはポーク、チキン、スジャータ(牛ひき肉)がメインで、ビーフ、魚、野菜、鶏レバーも日によって用意。それ以外は単品料理が少しあるのみ。

 来年60歳を迎える志藤さん、最後にお店のモットーについて聞いてみると……。

「うーん、『おいしいカレーを作る』ということだけですかね。こだわらないことがこだわりというか。自分が働くのにストレスを感じない空間ができているので、あとはカレーがおいしければそれでいいんですよ」


取材協力:マリーアイランガニー

Facebook:
https://twitter.com/negura_curry

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ライター・編集者
高崎 計三

1970年、福岡県出身。ベースボール・マガジン社、まんだらけを経て2002年より有限会社ソリタリオ代表。格闘技・プロレスをメインに、近年は音楽をはじめ多方面でライター・編集者として活動。著書に「蹴りたがる女子」「プロレス そのとき、時代が動いた」(ともに実業之日本社)。
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