いつでも誰とでもつながれる時代。だからこそ今、一人と向き合って、じっくりと言葉を綴ってみるのはどうだろう。相手とのやりとりを通じて、自分に素直になれるのが「文通」の魅力。言葉を選んだり、返事を心待ちにしたり。ゆっくりと時間をかけるからこそ、普段は言えない「泣き言」も、すんなりと伝えられたりする。今回は、文筆家のあかしゆかさんと椋本湧也さんに、久しぶりの文通を体験してもらった。
椋本湧也
1994年東京生まれ。大学時代に見田宗介・ベンヤミン・寺山修司に出会いつよい影響を受ける。卒業後、家具メーカーと出版社での勤めを経て、現在はWebメディアと書籍を中心に編集・執筆・出版を行う。自著に『26歳計画』『それでも変わらないもの』『日常をうたう〈8月15日の日記集〉』。2024年7月、京都に移住。
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今がとても自由だから、変わっていくのが怖いんです。
From あかしゆか
こんにちは。あかしです。椋本さんとは、直接会うのはもちろんのこと、LINEやインスタなどでいつもやりとりをしているので、こうやってあらたまってメールを送るのはすこし不思議な気持ちがします。
でも、人と会う時に「どこで会うか」が大事であるように、人とやりとりをする時も「何で伝えるか」は重要なことだと思っています。立ち現れる言葉の性質が全然変わってくる。だからこのメールで椋本さんとどんな言葉を交わすことができるのか、今からとても楽しみです。
ここでは、普段なら声を大にして言えないような、人生における不安だったり弱さだったり、そういう「泣き言」について話したいと思います。椋本さんとどんなことを話したいかなと思った時、「自由」というテーマが頭に思い浮かんできました。
私は先日32歳になり(椋本さんの2歳上かな)、今が人生の中でいちばん自由だなと思っています。20代の頃も、はじめて親元を離れて一人暮らしをしたり、お酒を飲んだり、選挙権を得たり、いろんなところに旅をしたり、とても自由だったのですが、私の20代の時の自由はなんというか、もっと必死で余裕がなくって、がむしゃらでした。
あの頃もとっても刺激的で楽しかったのだけれど、30代の今の自由は、もっとおおらかで健全で。大きな自由が手のひらにあると言えばいいのかな。20代で悩んだ数の分だけ、頑張ってきた数の分だけ、今の自分が「いいな」と思えるようになってきています。仕事の内容も、住んでいる場所も、暮らし方も、自分にとてもフィットしている感覚がある。
でも最近、「この自由がいつまで続くんだろう?」という不安を感じる時があるんです。もし子どもができたら。今みたいに仕事ができなくなったら。健康じゃなくなったら。そのどれもが「たられば」でしかないし、それを案ずる必要なんてどこにもないのかもしれないけれど、今が自由でとても楽しいから、変わることがすごく怖い。人はどんどん変わっていくなんて当たり前のこと、とうの昔に気付いているはずなのに、その変化を受け入れられない自分がいそうで怖いのです。
椋本さんは、そんな気持ちになることってありますか? そもそも自由って、なんなのでしょう。変化ってどうやって受け入れてますか。お返事、楽しみに待ってますね!
From 椋本湧也
こんにちは。秋の風が吹き始めた鴨川のほとりでメールを読みました。帰りに最寄りの銭湯でひとっぷろ浴びて、瓶入りのコーヒー牛乳を飲み干し、サッパリした気持ちで返事を綴っています。
先日、二人目の子が産まれたばかりの同僚に「自由でいられるうちは自由を楽しみなよ!」と言われたことを思い出しました。よほど気ままな自由人に見えたのかどうかはさておき、僕も「もし親の介護が必要になったら」とか「もし大地震が起きたら」とか、日常が一変してしまう「たられば」を想像することがよくあります。
ただ、そうした変化が怖いかと問われると、少し違う気もするんです。むしろ環境だったり、自分の心の動きが変わってしまうことに対して、「諦め」に近い感覚がある。
僕はこの夏、30年暮らした東京を離れ、京都に移住しました。信頼して仕事を任せてくれていた職場も、行きつけの本屋や顔なじみの喫茶店も、大切な交友関係も、居心地のよかった生活をすべて置いてきました。ずいぶん思い切った決断をしたように思われるかもしれませんが、実際には「変化の兆しに心が動いてしまった」という説明の方が腑に落ちる気がします。自分を取り巻く環境も自分の心も、変わってしまうものは仕方がない。
だから、僕にとって切実なのは、変化に対して自分がどうあれるかということなんです。どんなに環境や状況が変わっても、そこでまた面白さを見つけたり、生きる手ごたえを感じ続けることができるか。変化の兆しを無視することなく、心の動きに素直であれるか。そう考えると、僕は「自由」を失うことよりも、「自在」を手放すことの方が怖いのかもしれません。
とはいえ、やっぱり自分の心の動きに素直であることってめちゃくちゃ難しいですよね。人の目を気にするあまり本当の気持ちが分からなくなってしまったり、違和感にフタをしてしまうこともしょっちゅうある。僕らは「KY」文化の世代ですから、場の空気を読んで自分の心の動きを矯正するクセが染みついてしまっているように思うんです。「自在」に至る道はまだまだ遠い……。
あかしさんも仕事柄、いろんな状況に身を置くことがありますよね。そこでは悲しくなることも不安を感じることも、違和感を抱くこともあると思うのですが、ご自身の「心の動き」をどのように大切にしていますか? 今年はもうしばらく暑さが続くそうですので、くれぐれもご自愛ください。
どんな環境でも「心から楽しめる」自信がありません。
From あかしゆか
お返事どうもありがとう。椋本さんからのお返事を読んで、「“自由”よりも“自在”を手放すことの方が怖い」という言葉に膝を打ちました。たしかにそうだなって。
自由はいわば自分の外側にある環境のことであり、自在とは自分の内側にある心の持ちようのことなのかもしれませんね。世の中にはたくさんの定義があると思うけれど、少なくとも私と椋本さんのやりとりの中では。
そう考えると、私の20代は「自由」という環境は手にしたけれど、まだまだ「自在」の心は手にしていなかった気がします。
たとえば使えるお金が学生時代より増えたとしても、それを何に使うと自分の心が満たされるかがわからないから買い物に失敗してしまうとか。仕事選びにしても、恋愛の仕方にしても、自分の心が何を望んでいるかがわからない。だからその分失敗が多くて、とにかく悩み苦しんでいました。20代は、もがきながら自在を手にするための旅だったのかも。
椋本さんからの、「自分の心の動きをどのように大切にしていますか?」という問いに対する答えですが、「20代の直感に従って当たって砕けまくった経験が、自分を理解させてくれ、結果的に心を大切にできるようになった」ように思います。
自分の心の動きを大切にすることが、昔はすごく苦手でした。三姉妹の真ん中だったこともあるし、遺伝的なものもあるでしょうし、椋本さんがおっしゃる通り世代的なものもあって、自分の心よりも他人を優先することが多かったんです。社会人になって、そんな自分が嫌だと思い、もっと素直に生きようと決めました。そしたらめっちゃ失敗しました。仕事でキャパオーバーになって倒れたこともあるし、離婚も経験しましたし……(苦笑)。
でもやっと今、自分の心の動きを素直に感じることができるようになった気がします。自分の心の波の性質を理解できたから、波乗りがうまくなったと言えばいいのかな。嫌なことはちゃんと嫌だと伝えますし、好きな人には好きと言う。苦手なことからは離れます。昔の私を知っている友人からは、「変わったね!」と言われます。もちろんまだまだわからないことは多いですが、今の自分は、やっと自分でも「いい感じ」と言えそうです。
こうやって書くと私は自在を手に入れているように思えますが、今の自在って、けっこう環境に依存してるなとも思うんです。「どんな環境でも、自分の心の持ちようで楽しんでいける」とはまだ思えない。
きっと、自分の環境を自分で選べた時にだけ発揮される自在であり、そういう意味では、真の自在を手に入れられていないんでしょうね。やっぱり外的環境の自由を手放すのが怖いです。
椋本さんは、本当にどんな環境でも、自分の心の持ちようで楽しんでいけると思いますか? いけるとすれば、その力はどうやって身につけたのでしょう? とても気になります。
From 椋本湧也
あかしさんのメールを読みながら、二つの記憶がよみがえってきました。
一つは24歳のとき。当時働いていた旅行会社で大きなプロジェクトを任されて、「お前の思うようにやったらええから」と数千万円の予算をポンと渡されました。いわば「自由」を与えられたわけですね。しかし当時の自分はビビってしまった。自分を信じるよりも関係者に配慮するあまり、中途半端な仕事になってしまったほろ苦い記憶です。
もう一つは26歳のとき、コロナ禍がきっかけで仕事も家も人間関係も手放すことになりました。これまで築いてきた環境はなくなってしまったし、緊急事態宣言で自由に動くこともできない。でも、時間とアイデアだけはあった。そこで手さぐりで本をつくり始めた記憶です。
前者のように「自由」があっても「自在」でなければ悲しい結果を迎えてしまうし、後者のように「自由」がなくても、あるものを生かせば「自在」を手に入れることもできる。いずれにせよ、こうした経験が積み重なることで、どんな環境でも「なんとかやっていけるんじゃないか」という自信がついたのは確かです。
もちろん、新しい環境や未知の状況に置かれればうまくいかないことや思いがけない出来事に出会うから、心は波のように揺れ動きます。ただ、航海を続け遭難を繰り返すうちに、心の動きをケアしたり、目の前の状況を生かす「技」が身についてきた実感もあるんです。
たとえば、どこにいたって本を開けば思考を自由に旅させたり、背中を押してくれる言葉に出会える。書くことで自分の考えが整理されたり、慣れない日々をZINEにすることもできる。「外で一緒に本を読みませんか?」と人を誘うことで、何もなかったところに関係や場が生まれていく。新しい環境で心が落ち込んでも、こうした「技」を実践することで、だんだんと今を受け止めて、またやってこうという気になれる。
世界三大幸福論の一つ、アランの「幸福論」の理論は、「幸せだから手を叩くのではなく、手を叩くから幸せになるんだ」というものでした。要は心の動きは行動に引っ張られるということですね。
波に揺られながらどうにか前へ進もうと舟を漕ぐ中で、ふとした瞬間に航路を外れてしまうことがある。それでも、これまで培ってきた自分の漕ぎ方を信じて進むことで、自分だけの航路ができていくんじゃないかな。
手放すことと守ることが続いていくのが人生だって気付けた
From あかしゆか
こんにちは。最後の手紙は岡山で綴っています。目の前には瀬戸内海が広がっていて、信じられないほど海面がキラキラしています。空は秋独特の高さと深みが出てきて、風はたまに気持ちいい。ちなみに今日は満月です。
この景色を見ながら、椋本さんが書いてくださった「目の前の状況を生かす技が身についてきた実感」について考えています。
椋本さんがコロナ禍で本づくりをはじめたのと同じで、私が岡山と東京の2拠点生活をはじめて本屋を開いたのも、コロナ禍のことでした。あの頃の激動の変化を思い出すと今でも胸がぎゅっとなるけれど、結果的にあの時の決断や変化が、「手放したくない今の自由」につながっている。目の前の状況を生かして、心地よい環境をつくり出してきたのは、他ならぬ自分自身だったと思い出しました。
これまで椋本さんと言葉を交わしてみて、ここ数年の私は、変化や環境を一度手放し、大事なものをつくりあげたあとの「守る」モードになっていたから、すこし臆病になっているのだろうな、と思いました。もうすぐ来るかもしれない変化に対して、無意識的に防衛反応が出ていたのかも。「せっかくこんなに心地いい環境をつくりあげたのに?」って。
でも、変化で何かを手放して、また新しい大切なものをつくり、守って、それでもまた手放して、また違う自由と自在を求めて、いつまでも旅が続いてくのが人生なんですよね。まだ見ぬ世界を怖がっていても仕方がないよなと、せっかくなら世界を楽しみ尽くそうと、ありきたりかもしれませんがそんな勇気をもらいました。
おたがいの旅を、椋本さんとこれからもちょうどいい距離感でそっと見守りあえますように。そういう友人がいるだけでも、人生はすこし自由です。
いつもありがとう。これからもよろしくね!
From 椋本湧也
お返事ありがとうございます。最後の一通ですね。
あかしさんと文通をしながら思ったのは、あかしさんは僕にとって、自由を広げてくれる存在だということです。突然「ロマンスカーで読書会しませんか!」とメッセージをくれたり、知らない街までドライブしたり、夜更けまで雀卓を囲んだり。本を見知らぬ読者に届けてくれたこともありましたよね。こんなに仕事や遊びを一緒にしている人は他にいません。
とはいえ、僕があかしさんのことをよく知っているかといえばそんなこともなくて、きっとそれぞれのいくつかの側面を共有しているに過ぎないんだろうなと想像します。ものの見方や考え方だって全然違うんじゃないかな。
それでも、たまたま人生の航路が重なって、経験を共にしたり、悩みを共有できることは、とても幸せなことだとしみじみ思います。生きているといろんなことがありますが、あかしさんといるときは自分の心の動きを大切にできるし、「この世界は捨てたもんじゃないな」と思えます。
この先どんなことがあるかは分からないけど、お互いに変わったり変わらなかったりしながら、それぞれが遭遇する出来事や境遇を面白がったり励ましたりできたらいいなと心から思います。もしも、あかしさんの今ある自由が失われたとしても、そこでまたお互いの自在さを生かして面白いことしましょうね!
今、僕は広島の鞆の浦という瀬戸内海沿いの港町でこのメールを綴っています。瀬戸内の海は、陸の騒々しさにも、僕たちの泣き言にもかまうことなく、今日もおだやかに波を寄せては返しています。